アフガニスタンのバーミヤン渓谷に巨大な2体の大仏がある。
西の大仏様の高さは、55メートル、東の大仏様の高さは、38メートル。 男像、女像と呼ばれている。
他のイスラム国からも 「6236節のコーランの中に偶像破壊の命令は1つもない」少ない資料ではあるが、紹介いたします。
「預言者モハメットは一度も偶像を破壊していない」
と非難が出ているということは、これはイスラム教という宗教の問題ではない様子。
「ユダヤ教やキリスト教に改宗した者は死刑を適用する」 との布告
「世界のテロリストの訓練基地となっている疑惑」
要するにめちゃくちゃなのだ! 報道がゆがめられていなければ、、、
西の男像遠景 高さ55M この800m東に 女像がある。 その間には おびただしい 石窟があり(約千) 礼拝堂 僧坊となっていたが 原形はないそうである。 |
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男像近景 岩壁をくり抜いた 状況がよく判る ← 玄奘が訪れた632年 には傷みは少なかったので、その少し前の建造と推測されている。 |
東の女像 こちらは 高さ38m 男像とは 年代も 表面の材質も 違いがある。 |
男像近景 人物と比較するとその大きさが判る ← 高さ55mだ。 |
女像UP 足についている 無数の穴は、 漆喰を止めた 杭の跡だ。 破壊の 弾跡ではない |
男像の拡大、破損は著しい | 僧侶達が住まいとした岩穴に難民が住む |
<<東洋と西洋の幸福な融合>> 異文化も対立する事無く、融合できた時代もあったのだ。 あくまでもその時代の人間社会の健全度が問題なのだ。 【左上】 美しい仏頭 【右上】 仏陀を守るヘラクレス 【左 】 ヘラクレス像の拡大 ハッダにあるこのヘラクレス像は、旧ソ連軍の進攻の際に、 破壊されて今はもう存在しないのだ。 博物館にある仏像はことごとく、粉砕されたと報じられたから、 事実とすれば、この美しい仏頭も、今は存在しないかも知れないのだ。 |
他人を自分と同じように認めよう。 芸術を愛することで心豊な人間になりたい。 今回の破壊も、国際情勢の駆け引きのようなのですが、イスラム教では、偶像崇拝を禁止していると言うのが理由だそうです。 博物館内の仏像は、既に全部粉砕されたとも報じられています。 宗教は個人の自由であることは当然です。 自分の国を自分達で自由に管理するのも自由です。 自分がコダワリを持ち、主義主張を明確にするの良いことだと思います。 問題は、自分を大事にすると同時に、自分と同じ他人様のものも尊重する事に気が付くべきだと思うのですが、、! バーミヤンの仏教遺跡は、その巨大さ故に、そこにかかわった人々の歴史的価値があるはずです。 単なる異教の偶像ではないはずです。 私は、宗教の根本は<思いやり、相手をも認める>ことだと思っています。 その宗教に属する為の儀式を体験したかどうかではなく、宗教心が大切だと思っています。 宗教心があれば、宗派を超えて理解し会えるはずなのですが、結果は全く逆です。 無視を通り越して、強烈な敵意を抱いています。 自分と違う者に敵意を抱き、直ぐに攻撃するのは、己の力で考える能力がないからなのです。 ただ教えられたものを丸暗記するだけ、それを勉強だと思いこむのが危険なのです。 生まれた時から、教えを暗証するだけで終わり、自ら考える事を、疑問を呈する事を、批評する事を禁止された環境から脱しなければならないでしょう。 宗教の教義の表面的な記述にのみこだわって、その心を会得していない結果だと思います。 焚書坑儒、フィレンツェのサボナローラ、明治維新後の廃仏キ釈 など歴史にも多くの記禄があります。 我々の身近な所にも多く現象が現れています。 皮相的な相違にこだわらず、お互いの人生を尊重しあえる社会にしたいものです。 しかし、現実は能力の問題なのでしょう。 能力に余裕が無ければ、他人のことまで理解なんかできる訳がない。 初歩的な知識を知った事で、思い上がり、その奥にまだ先があることに気が付かない人達の経験の浅さが問題なのです。 他人様が理解できる能力を蓄える為には努力と自覚が必要であります。 ネット上の掲示板は、他人様の意見がわかるありがたい手段であります。 |
のぶなが |