≪プロセルピナの掠奪≫1621年 Rope of Proserpine ギリシャ神話 |
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冥界の王プルートが穀物の女神の娘、プロセルピナに一目ぼれし、冥界に連れ去ってしまう瞬間を捉えた彫刻である。 |
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瞬間を劇的に捉え、瞬間を固定し、観る位置を意識した単一視点性のある造形である。 その位置から、彫刻の生み出す世界に、誘い込まれそうになる。 鑑賞者と彫刻の主人公とが、同じ世界に、同じ瞬間にいる気にさせる。 観ている者に、生身の感情を湧かせるのだ、ベルニーニは! |
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やはり、この位置から観るのが Best |
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掠奪者の指が荒々しく 柔肌に食い込むリアルさ |
そして、涙! |
彼女は、突然現れた蛮人に 抱きかかえられ 抵抗空しく、掠奪される その瞬間の表情、、、 「よしッ!俺が助けてやる〜」 と、、、私は思ってしまう |
↓引きつった脚の指の表情↓ 彼女は、突然の恐怖に 慄いている |
最初に訪問した時は、写真撮影OK ただし、作品を背景に記念写真を撮ろうとすると、警備員が寄って来て、「Solo Solo 」 と物申す。 作品を単独で撮るならOK!だった。 ところが、2回目の訪問時は、工事中で閉館 息子を連れて行った3回目は、カメラ禁止、確か、預けなければならなかった。 部屋内の工事で、作品にダンボールを厳重に巻いて、何も見えない、、、、 今度行くときは、日本のイタリア大使館で、写真を撮りたいので、推薦状を書いてチョ〜ダイなんて依頼してみようかなどと、、、、 |
1978年12月の私 もみあげがヤタラト長い 若かったのだ |
ベルニーニの言葉: 『 私は、大理石をあたかもロウであるかのように扱うという困難を克服してきた。、、、、、 古代人達がこれを成し遂げなかった理由は、多分大理石を自分の意志に従わせるという勇気が 彼らに欠けていたからでしょう。 』 **石鍋真澄著作「ベルニーニ」より |
≪ アポロ と ダフネ ≫1622年 Apollo and Daphne ギリシャ神話 |
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クピドのいたずらで、恋をかき立てる黄金の矢を<アポロに>、恋を冷ます鉛の矢を<ダフネ>に射て、 恋狂いのアポロに捕まった嫌がるダフネは、河神の父の助けで ≪月桂樹に変身 ≫する瞬間を捉えた彫刻である。 <プロセルピナの掠奪>と全く同じ驚きがある。 |
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指の先から月桂樹に変る瞬間 |
脚の先も月桂樹に! |
1978年撮影 |
≪ 聖女 テレサの法悦 ≫1647年頃 Le Estasi di Santa Teresa サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会 |
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スペイン、カルメル会の改革の修道女テレザの幻視と法悦の瞬間の彫刻 金の矢を持った天使が、テレサの心臓を何度も突き刺し、激しくも甘美な痛みに恍惚となり、神の愛に身を委ねている、、、 |
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コルナーロ家礼拝堂全体 教会の祭壇に向かって 左手の一番奥にある。 |
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左が教会正面、右がモーゼの噴水 |
小さいが華麗な内部である |
天井の至る所に天使が舞う |
早朝に訪れた時は、礼拝中であった。 信者さんは、僅かに数人だけが前の方に! 礼拝が終わるまで最後尾に座って待つ。 15分程で終了したの、恐る恐る礼拝堂を端から覗いていき、コロナーロ礼拝堂を探す。 信者さんがこんなに少なくていいのだろうか? 不思議な体験であった。 |
≪福者 ルドヴィカ・アルベルトーニ ≫1671年頃 Beata Ludovica Albertoni サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会 |
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貧者に対する献身で、福者に列せられたルドヴィカの至福の表情 | 教会正面 |
中央部とは離れた側廊に |
トラステビレ地区の目立たない教会である。 早朝なので礼拝中、やはり信者は数人のみであったが、側廊があったので、静かに探した。 左の一番奥。 手入れはされておらず、埃で黒く汚れていた。 至福の芸術作品が、何ら顧みられる事無くひっそりと、、、ローマという街は奥が深い、、、日本でいえば国宝級なのに、、 |
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神との神秘的合一の状態 |