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≪ ミケーネ遺跡、コリントス運河(ペロポネソス半島) ≫

Mikines, Korinthos (Peloponnese)

ギリシア・エーゲ海クルーズ、夫婦で旅行(2)
2010/01/14〜2010/01/20







ミケーネ文明 (ミュケナイ文明) : 紀元前16世紀 〜 紀元前10世紀頃
最盛期には、東地中海での貿易の支配権を握っていた。

私にとっては、トロイ戦争で、ギリシャ軍の総大将として勝利を収めたアガメムノンがミケーネの王であった。
そして、アガメムノンにまつわる物語が、 絵画やオペラの題材となっていると言う事が、ミケーネとの接点である。
数多くある他の遺跡ではなく、ミケーネ遺跡を見学する事は、私にとっては、重要な事であった。
今後、、関連する絵画やオペラに親しむ度に、、この度の訪問が貴重な実体験としてリアリティを増すであろう。

また、、大学の教養課程での語学教材が、、アガメムノンやオデュッセウスであり、
やっと受験英語から開放されたのに、無味乾燥な重苦しい雰囲気の授業に苦しめられた思い出がある。



ギリシャ本土からコリントス運河を渡り、ペロポネソス半島に入り、、内陸部を走る。
ミケーネ遺跡は、海岸線からは遠く離れている。




サロニコス湾とコリンティアコス湾とが
6kmの距離で接近している。

コリントス運河は、
長さ 6,343m, 幅 23m, 高さ 80m


←  コリント運河に架る橋、、、

実にありふれた田舎の橋である。

ここは、観光施設だと思っていたので
この殺風景さには驚いたのである。

趣のある展望台を期待していたのであるが、
大理石の大きな記念碑があっただけなのである。



橋の中央から、、、長さ 6,343m, 幅 23m, 高さ 80m




鉄道橋の向うに コリンティアコス湾








コリントス運河を渡り、ペロポネソス半島に入る。
しばらく、右手にコリントスの町を見ながら、鉄道と平行して走り、、

右手前方に アクロコリントス山が見えてくる。

アクロコリントス山
標高 575m
麓にコリントス遺跡がある。
アクロコリントス山の山頂

古代のアクロポリスであるが
ローマ時代、ビザンチン時代の
大きな要塞が見える。
アクロコリントス山を
大きく回りながら南下する。



山頂の要塞の拡大画像、、、ここからの展望は絶景であろう、、、




アクロコリントス山の南の山、、、山頂には、教会 or 遺跡らしいものが見えた。








コリントス運河を出発して、40分でミケーネ遺跡が見えてくる。
イリアス山 と ザラ山 に南北に挟まれた間にある。



↑ アトレウスの宝庫から見る ↑


↓  駐車場から見る  ↓

城塞の存在が目立つ、、、戦闘の存在を印象付ける。



ミケーネ遺跡復元図

遺跡と言えば、、神殿の列柱が中心なのだが、、ここにはそれが無い。
ギリシャ神話盛期の時代よりはもっと古い時代なのかもしれない。

大規模なトロイ戦争の時代を考えると小さ過ぎる城壁なのである。
市民を含んだ都市国家とは程遠く、、単なる地方豪族の私的な砦レベルである。
1876年シュリーマンによって発掘されて、、神話が歴史的事実とされた遺跡である。
ここに問題がありそうである。
神話・伝承のミケーネしか知らない人間には、出てきた遺跡を、、
自分の知っている事にしか結びつけられない、、という 「無知の断定」
ではないだろうか?
( 日本では大きな遺跡は直ぐに卑弥呼と結び付けられる )



獅子の門 Lion Gate




ミケーネ遺跡の紹介と言えば、獅子の門ばかりなので、、期待はしていたが
意外にも小規模に思えた。





ライオンの頭が無いのであるが、、そもそも、、頭のあったスペースが無いのではないか!
象徴的な造作なのに、石材は立派な大理石ではない。
周囲の石材も、均一な物ではなく2次的に固まったようなもの。
ローマ時代の遺跡よりは遥か昔なので、、こんなものであろうか?





獅子の門の裏側



場内に入ると、、展望はすこぶる良い。




明るい日差しに、青く透き通る大空に白い雲




アルゴス平野の大展望、、、遺跡には石垣しか残っていないので、障害物は無く、、絶景の展望である。

画像クリックで壮大な大画像
    円形墓地の上部から






邸宅跡

基部だけが残っているのだが、、
新たに復元したと言う事か、、、
めぼしい造作のある物は、盗掘なのか
何処かの博物館で保存なのか?


とにかく、、
何の造作も無い石しか存在しない。


明るい、、この爽快な明るさは ギリシャ・ペロポネソス半島そのものなのだろう、、




東の端、、、城壁の上に見える小山がアトレウスの宝庫 ↓




貯水池と出陣の門 (裏門)



北門





北に位置するアイヨス・イリオス山 (ザラ山?)





これらの観光的ギリシャの典型的な明るい光景を体験して、、

ギリシャにまつわる芸術を思い出すと、、、

殆んどが、、悲劇なのである。
それも、、強烈なる悲劇。


ミケーネの王アガメムノンの悲劇 :   <アイスキュロス3部作>

トロイヤ戦争の総大将として出陣しようとするが、、ギリシャ艦隊は、風に恵まれず出航できない。
預言者の宣託で、、女神ディアナをないがしろにした為で、、
アガメムノンの長女イフィゲイニアを生贄にしなければならないと、、、
(1) アガメムノンは、イフィゲイニアを生贄にし、、トロイヤへと出帆する。
    ** 娘を殺す。

(2) トロイ戦から凱旋したアガメムノンは、留守中に愛人を作っていた妻に、入浴中に殺されてしまう。
    ** 夫を殺害。

(3) アガメムノンの息子オレステスは、帰国して父の仇となった母親を殺害するのであるが、、
    ** 母親を殺害。


<復讐の女神達に追われるオレステス> 1862年 (Norfolk, Chrysler Museum of Art)
231.1 x 278.4 cm ウィリアム・ブーグロー(ブグロー)作


母親は 「お前が吸ったこの乳房にかけて許しておくれ、、」 と、、迷いはするが、母親を殺害し、父の仇を討つ。
「母の怒りの化身に気をつけるんだね、、、」 と言い残した母親の言葉の結果が、この絵の主題である。
復讐の女神達が、肉親を殺害した者に襲いかかっているのである。
復讐の女神に追われ続けて諸国を逃げ歩き、
最後に、アテネの国で守護神アテナの裁定で、オレステスは かろうじて無罪になり
復讐の女神達も慈しみの女神となり怒りを鎮める、、というお話。 


怒りを露わにする復讐の女神達の頭髪は蛇である。


このような極端に悲惨な物語の舞台が、、この ミケーネ なのである。
あまりにも、のどかな、、明るい光景とは似合わない。

現実にはありえない悲劇だから、、
美食における苦味のように受け入れられたのかもしれない。



オレステスの出てくるオペラにおいても、、


ミケーネ遺跡の光景とは、、場違いである。
陰湿な英国の光景と違和感の無いシェークスピア悲劇の場合とは、全く異にする。



明るいミケーネ遺跡 VS ミケーネ王アガメムノンの悲劇にまつわる芸術の鑑賞
今後、、私の中では、、どのように展開していくのであろうか?


健康的なミケーネ遺跡を後にして

アトレウスの宝庫に移動する。



アトレウスの宝庫  ミケーネ遺跡から 500m の距離

宝庫となっているが、、墓のようである。

先程のミケーネ城塞とは違い、、石積みが緻密である。  時代が違うのであろうか?

↓  内部の高さ13.4m  直径14.5m  ↓
写真以外のものは何も無い、、、、、







近くの村で、、食事。
レストランの名前は、、キング・メネラウス

このシンプルな料理が、、ギリシャ旅行では一番、、否、唯一美味しかったのである。
海老の身はプリプリと味が濃く、小ぶりのイカはも新鮮、、、このフライは前菜である。
メインは、、舌平目に似た白身のソテー、、、食べるのに夢中で撮るのを忘れてしまった。
デザートのオレンジは、、、濃厚なオレンジの風味と甘さ、、ジューシーさは最高!



昼食の後は、、田園風景の中、、土産物屋へ、、、



近辺は、、果物、ワインの直売が多い。





↓ 土産物屋は、、巨大な店舗 ↓
彫刻のレプリカ、陶器、宝石・貴金属、衣料小物、、と多彩
待ってましたとばかり、、彫刻を一点購入。





明るく壮大なギリシャのイメージは、、、

何篇も造られている 映画 「トロイのヘレン」 のイメージが強いが
ギリシャ神話の映画と共に、、ハリーハウゼンの特撮映画でも親しんできた。
もう一度、ギリシャものを見直して見ると、、より リアリティが出てきそうである。




「 アルゴ探検隊の大冒険 」 の一場面











事前に、、様々な知識、先入観を持って臨んだミケーネ遺跡であったが、、、

今回体験した 「 明るく爽快な遺跡 」 という印象が、固定されそうである。




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