≪ アッシジ、清貧の聖者フランチェスコの街 ≫

2004年GWイタリア、フランス旅行報告(9)

最後まで予定狂いの連続
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■ フィレンツェを、鉄道で早朝に発ち、アッシジ駅に荷物を預け、アッシジ見学、
夕方には、ローマのテルミニ駅近くのホテルにチェックインの予定。   というのも、
「地球の歩き方」最新号に 「駅に、荷物預かりと日本語で書いてある 」との報告があったから、、
これで半日有効に使える、との計算。



↑ アッシジ駅前から、望遠で撮る。  頂上は大要塞。
サン・フランチェスコ聖堂は、画面左で見えていない。


↑ 小鳥に説教する清貧の聖者フランチェスコのイメージどおりの農村風景
ポピーの赤が新鮮に映る。

↓ アッシジ駅
駅について真っ先に荷物預けを探す。
難無く 売店前に 「BAGGAGE」 との表示。
気分爽快で、大きなトランクを店に入れる。
2人いる売店のオバサンが、持ち込んだ荷物を見るなり、、強烈に 「CLOSE!」、、、、と拒絶。
何を言ってもダメ、、、、
テロ警戒の一時的なものと思われる。
が、諦めるわけにはいかない。

思案の挙句、駅前のホテルに出向き、、「金払うから 」 と頼んで見たが 「お金の問題ではない 」 と断わられ、
再び駅に戻り、駅内のバールで 「baggage-keeper 知らないか?」 と聞いても 「 impossible ! 」 とつれない。

再度、売店に行くと、顔を見ただけで 大声で  「NO〜!!」
「10ユーロ!」 、、、、 「20ユーロ!」 と叫ぶと オバサン 一瞬 顔がほころぶ。
しかし、、結局  「NO」 は変わらない。

残念ながら、次に列車で ローマに、、

ローマ、ナポリの予定をこなし、ローマ最後の予備日に再度、アッシジを日帰りすることになった。

■ 朝一番に、鉄道で、ローマを発ちアッシジへ、、、軽い手荷物だけ。
アッシジ駅前からバスで、丘の上のアッシジ市街へ、、
バスの終点はマッテオッティ広場との情報なので、途中の駅は眼中に無く終点で降りるつもり。
しかし、途中で殆んどの客が降りてしまった。
チョット不安になったが、残っている客もいるのでそのまま終点まで。
が、終点のマッテオッティ広場は、人っ子1人いない場所で、行くべき方向に迷う。
磁石を取り出し方向を確認して、観光場所に向かったのだが、、、、町外れに出てしまった。 ??
もう一度、バス停まで戻り、、再度方向確認。  なななんと!!
磁石が違う方向をさす。  数m移動すると、、磁針が大きく方向を変える、、なんてこった?

正しい方向を見つけて、市街地に入り、他の観光客を見出し、一安心。

■ バスは、 途中のサンピエトロ門広場で下車するのが正解なのだ。
途中多くの客が降りた所がサンピエトロ門広場だと、事前に判っておればこんな無駄はなかったのに、、

↓ サンピエトロ門広場がバス乗降に便利
目指す観光名所にも近い
↓ ドゥオーモ
地味な教会だ

↓ 街の中心コムーネ広場
といっても、小さい小さい

↓ ミネルヴァ神殿跡
小さい広場なので僅かな観光客でも、多く見える
細い道をサン・フランチェスコ聖堂へ

直ぐにサン・フランチェスコ聖堂

サン・フランチェスコ聖堂は上下2段構造
下の聖堂入口

↓ 上の聖堂部分 ↓

↓ 下の聖堂前の広場

↑ 南からの構造
巨大な修道院である
↓ 西からの構造
中に入って判ったのだが、複雑な構造だ。
下の聖堂が、1230年に完成。
上の聖堂は、1253年に完成。
そして地下に、聖フランチェスコのお墓がある。

■ 有名なジョットのフレスコ画は上の教会にある。   が、、これが問題が多いそうだ。
ジョットは、作品の真偽が争われている問題の多い画家であるらしい。
パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂は、確実に真作とされる珍しいものだそうである。
こちらのサン・フランチェスコ聖堂は、、真作、工房作品、、不明作品、、、とややこしいらしい。

それは、特にジョット愛好家ではない私にも感じられる。
先に体験した、<パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂>で受けた聖なる雰囲気が感じられなかったのだ。
集中力が希薄で、弛緩したイメージ、、、空間が大きく、観光客も多い、という事も影響しているとは思うが、、




↑ 上の教会内部

(写真禁止なので画像はガイドブックより)
こじんまりとした<パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂>とは全く違う

小鳥に説教するフランチェスコ

これは真作らしい

各絵は、270 x 230m

★ 上の教会の絵は ★
聖フランチェスコの物語である。

<パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂>が
聖母マリアの物語
イエスキリストの物語
とメリハリのある内容と比べ
聖フランチェスコの逸話の列挙だけでは
緊張感が違うような気がする。

↑ 貧しい騎士にマントを与える聖フランチェスコ

↑ 父親と決別する聖フランチェスコ
↓ 聖フランチェスコに別れを告げる
↑ は父親に「全てを返せ」と言われ
着ている服までも返して裸になり
あわてて司教がマントで腰を覆った、話。


← 教会の描き方など
ジョットの雰囲気はない。


聖フランチェスコの物語絵は
全部で28面ある。

↓ 下の教会

↓ 下の教会


 ← 下の教会にも
 「小鳥に説教する聖フランチェスコ」


下の教会は、地下室のように暗く
不気味な雰囲気も感じたが、、、
まだ、この下の地下に
聖フランチェスコのお墓があったのだ。


キリスト教信者で無い私には、、
清貧の聖フランチェスコの為の聖堂にしては、
巨大で、大仰で、清貧のイメージを感じる事はなかった。


↑ 聖堂前から見たアッシジ駅方向
レストランと書いてあったのに
バール程度の軽食しかない

帰りは、すぐ下の
サンピエトロ門広場からバスに乗る →

★ アッシジ駅でローマ方向行き、ORTE行きを待っていると、10分早く列車が入って来た。
駅で若い日本の女性2人組みと、話していたのだが、、お互いに、一瞬迷った。
乗込みかけたイタリア人のオジサンに、「 ORTE? 」 と訊くと 「 Si 」 との返事だったので
我々も乗込む。  そして、、直ぐに気が付いた、、方向が違うのでは??
そこに、先程のオジサンが寄ってきて 「 ROMA? 」 と訊いてきたので 「 YES 」
やはり間違っていたのだ。 オジサンが次の駅で降りろ! と ドアまで着いてくる。
幸い、、次の駅に乗るべき列車は未だ着いていない、、、、
降りて、対抗ホームで振返ると、先程のオジサン、こちらを見ている。 心配してくれているのだ。

確か、単線だから、、この駅ですれ違い、、間に合うのだ。
無事に予定の列車に乗って、ORTE まで、ここで、後続の ROMA 行きに乗り換えればOK。

ところがである、、、、、、途中の駅で対抗車のすれ違い待ち、、次の駅でも、、、
結局、1時間も遅れているではないか、、、、、、そして何とか ORTE 着。
ORTEホームは乗り換え客で溢れ、、、、乗るべき後続車も大幅な遅れ、、、
暫くして、アナウンスがあり、、多くの客が地下道へ、、、
そして、向かいのホームに現れる。    、、、、 ウーン、、何事ゾッ
時刻表と、ホームの掲示板を眺めて気が付いた。

別方向から来るローマ行きも遅れており、まもなく着くのだ、、と
同じ遅れも、目の前の列車の方が確実だ。
2人の日本人に声かけて、地下道へ駆け下りて、隣のホームに駆け上がる。
直ぐに列車が到着、、、「 ROMA?」 と確認して、、無事ローマ着。

荷物預かり拒絶から、、磁針の狂い、帰路と、誤算の連続のアッシジでありました。

■ <2004年GWイタリア、パリ近郊都市21日間旅行 目次>

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