≪ パドヴァ、ジョットのスクロヴェーニ礼拝堂≫

2004年GWイタリア、フランス旅行報告(7)
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魚に説教するパドヴァの聖アントニウス
★ ★ ★
聖アントニウスが、お説教しようとしても、
教会には誰もいない、、、、、、
聖アントニウス、、、川に出かけた、、そして、お魚にお説教、
  、、、
卵を抱いたコイが集まってきて、大きな口あけて、神妙に聴いている
魚にも解るお説教なんて聴いたこと無し
  、、、
のろまのカニやカメもお説教聴きに川底から這い上がる
魚にも解るお説教なんて聴いたこと無し
  、、、
お説教が終わって、みんな帰ったけれど、、、
お説教はありがたかったけれど、、
魚はみんな元のまま、、
カニはやっぱり横横歩き、、、
、、、、

■ マーラーの 「子供の不思議な角笛」 の2曲目<うき世の暮らし>を
セル指揮の伴奏でシュワルツコップが歌っている録音を初めて聴いた時の強烈な印象で、
時々この歌曲集を聴きいていた。
この曲の9曲目に、<魚に説教するパドヴァの聖アントニウス>がある。

パドヴァ Padova という地名が記憶にあるのは、このセルとシュワルツコップから始まっている。

■ パドヴァに寄る事が決まってからである。
この町の中心が、聖アントニウスの聖堂=サンタントニオ聖堂(Basilica di S.Antonio)であり、
イタリアで最も有名な聖地である事を知ったのは、、、
詩に出てくるアントニウスが実在の聖人だと言う事も     そして、
ジョットが描いたフレスコ画がスクロヴェーニ家礼拝堂を埋め尽くしている事を知ったのは、

ジョットのフレスコ画は知っている、スクロヴェーニ礼拝堂の名前も聞いたことがある、
パドヴァも名前だけは知っていた、、、、
それらがここで合体したのは、パドヴァに寄る事が決まってガイドブックを読んでからである。

と、、他の都市に比べて、あまり気合の入った訪問ではなかった。
Vicenza の帰りに途中下車する予定だったので、
夕方に時間帯に ”スクロヴェーニ礼拝堂見学の予約” をインターネットでしておいた。

↓ パドヴァ駅前の市内バスターミナル
ヴィツェンツァでは、午後2時からのヴィッラ訪問を諦めたので、パドヴァには早く着いた。
北の端の鉄道駅からバスで、南の端プラート・デッラ・ヴァッレまで行き、時間の許す限り市内見学しながら、スクロヴェーニ礼拝堂まで戻ってくる事に。
↓金曜午後2時前なのに
市内中心に行くバスに学生の群れ

どこに行っても学生で溢れている
パドヴァは交通の要点にあるので
商業と工業の盛んな町と思っていたのに
市内中心の大学の近辺のみならず
学生の集団ばかりが目に付く、、
↓ プラート・デッラ・ヴァッレ、大きな公園だ、右手にサンタ・ジュスティーナ教会
(Prato=芝生、牧草地)


↓ 周囲は堀、彫像は80体もある


サンタ・ジュスティーナ教会 →
16世紀建造だが、クーポラが8つもあり
見慣れた教会のイメージとは違う
↑↓ Prato=芝生のとうり広大な芝生に、若いグループ、アベックがゴロゴロごろごろ

北へ、サンタントニオ聖堂へ向かう
↓イタリアで最も有名な聖地、サンタントニオ聖堂
↓最も有名な聖地にしては、混雑とは言えない
← サンタントニオ聖堂前の広場
ガラ〜ンとしている。
敷地境界の壁に若人が座っている
(↓に拡大画像)

聖堂内部は巨大であったが、
特に印象に残っていない。
右端の2人、、「写真撮ってる」と指差し、隣で私に手を振っている?
↓サンタントニオ聖堂横の信者会の建物

右手の建物にティエポロの絵があるはず、、
が、、工事中で見れずに、左手のみ見学 →
歩いて北上する。
↓ アンテノールの墓


↑ 市庁舎、、右手がパドヴァ大学
↓ フルッタ広場、左の建物がラジョーネ宮



スクロヴェーニ礼拝堂は、鉄道駅から来れば簡単に判るのだが
南から来て道路が工事中で通行止めだったので、東に大回りして疲れに疲れる、、

↓公園の北西の角から入れば、スクロヴェーニ礼拝堂は直ぐ、、↓
← スクロヴェーニ礼拝堂
↓少し東奥の市立博物館に切符売場がある
市立博物館で予約確認Mailと切符を交換し
余った時間で、博物館内を見学。
意外にも見応えのある絵や彫刻があったが、撮影禁止なので、記憶ゼロ、
ティエポロも2枚見つけた。

↓ スクロヴェーニ礼拝堂の入口となる予備室。
ここで15分間ビデオをみて体温調節、1回25人限定
スクロヴェーニ礼拝堂まで、扉が2重3重あり
片方が閉まらなければ、他方を開けないという徹底振り。

ここもご覧のとおり、若人ばかり、、


↓ スクロヴェーニ礼拝堂、ジョットのフレスコ画 (手荷物持込禁止なので、ガイドブックより)
入場に制限があり、
人数も25人限定と少ないことも

この礼拝堂の厳粛さの一部だろうが、
ジョットの絵の醸し出す
謙虚さが、、
必要な内容のみ描き出す
ジョットの謙虚さが、

神妙な気分にさせるのだろう!
心安らぐ瞬間

キリスト教信者でもなく
それどころか、宗教に疑問を抱く者にも
心安らぐ瞬間だった。


↓本来の入口面
↓ 主祭壇
見学入口は左から



↑ ≪ 最後の審判 ≫ ↑
↓↓
最上段は、聖母マリア誕生の物語
(イエスでなく母マリアの誕生物語)
各画面、 200 x 185 cm

聖母マリアの誕生前に、父ヨアキムが
「子無き者はお供えする資格が無い」と拒絶される

拒絶されたヨアキムは
修行の為、荒野に出る



荒野で、夢の中で
妻アンナの受胎を知らされる


天使から受胎を知らされるアンナ

↑ヨアキムとアンナの再会

↑マリアの誕生
↓少女マリアを神殿に捧げる


↓マリアの婚約式



↓ 中段はキリストの物語 ↓

三王の礼拝

エジプトへの逃避
↓カナの饗宴
↓ユダの裏切り、イエスの逮捕
↓ 磔刑


↓哀悼


ラファエロ、ベルニーニ、ティエポロ、、と、生身の人間の精神を感じさせる絵に基準を置くと、
ジョットの表情は、、物足りなく感じるが、、宗教そのものにのみ入り込む事を考えれば、
無垢に宗教の精神世界を基準にすれば、、宗教的感情表現の純粋性に見るべきものがある、、

ジョット、、1305年〜10年の作、、ラファエロの小椅子の聖母1514年、、200年の隔たりがある。

私には、未だ縁の無い精神性だ。  しかし、心安らかになったのは確かである。

いつかは、キット ジョットに惹かれるような予感がする。 
数日後には、アッシジでもう一度、大量のジョットに会うのだ。
アッシジは、 小鳥に説教する聖サンフランチェスコ なんだ〜!

■ 駅までノンビリと歩き、鉄道でメストレへ
夕食は、めぼしいレストランは見当たらないメストレで、中華料理。 まあまあの味!


■ <2004年GWイタリア、パリ近郊都市21日間旅行 目次>

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