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≪  メリダ市内観光、市場、マヤ人民家訪問  ≫

メキシコ・シティから空路、ユカタン半島メリダへ
上空から ユカタン半島空撮


メキシコ・テオティワカン・アステカ・マヤ遺跡&民芸探訪 (7)
11/04/18〜11/04/25





Garmin GPS 60CSx での軌跡
A = ウシュマル     
B = チチェン・イッツァ  
C = シケケンのシノーテ
D = トゥルム       

Mexico City → Merida 緑色のログ
Cancun → Mexico City 茶色のログ

帰路の Mexico City 行きはメリダの南を通過しているので、メリダの市街・空港が撮影できた。
往復路ともに北側の座席を確保。



↓  往路 : メキシコ湾からユカタン半島上空へ、、、、一面のジャングルである。  ↓

乾季の終わりの4月なので、、緑は少ないので、予想した密林というイメージはない。




マヤ遺跡が見えないものかと、望遠で撮影したものの、、遺跡らしきものは写らず、、畑?



セノーテらしきモノは度々確認、、、




セノーテ? 人工的な気配は濃厚だ、、




メリダに近づくと、、農場、、工場? 多くの人間の営みが増えてくる。




ビニールハウス?  高い煙突は工場だろう、、余裕のある土地利用である。




メリダ空港着陸直前の住宅街、、、計画的である。




帰路 : メリダの街上空、、、整然と区画され都市計画の存在を知る。




メリダ空港、、、細かく区画されたのは住宅街である。



メリダを通過し、、メキシコ湾に、、、↓ は セレストン自然保護区 Celestun ↓





メリダ市は、ユカタン州の州都、、人口は80万人 と結構多いのだが、、
のんびりとした田舎町にしか見えないのだが、、

メリダ市中心のソカロ




カテドラル、、これでユカタン半島最大規模なのだから、、ユカタン半島の民力・経済力のレベルが推測される。

↓  フランシスコ・モンテホの館  ↓
1542年 モンテホ率いるスペイン軍に占領され、ユカタン半島統治の中心都市となった。


↓ モンテホの館の正面入口の2階部分のレリーフ ↓
スペイン兵がマヤ人の頭を踏みつけて立っている。
高圧的、暴力的一辺倒で統治したのが解る。




ソカロ周辺の商店なのだが、、復活祭休暇故なのか、、超のんびりムードである。  平日 3:30



大きなアイスクリーム屋なのである。



 ソカロには、州庁舎、市庁舎がある。 ↓



平日 3:30 と言えども、、観光客がもう少し居ても良いと思うのだが、、
マヤ遺跡も ウシュマル遺跡は、カンクンから日帰りのチチェン・イッツァ遺跡に負けている?




コロニアルを印象付ける建物。

市内には、大きなスーパーマーケットが
何軒もあったので、、人口80万都市を
納得できるのだが、、  緑が多く、、
過密とは無縁の余裕のある空間の街
なので、、、のんびりのんびりのイメージ
しか残らない。



1919〜1920年 野口英世が此処で黄熱病の研究を行った。
市内の西の方の オーラン病院に記念像が建っている。

米国やアフリカで研究・実績を残したと思っていたら、
この地にも足跡を残していた。
でも、この病院が野口英世の研究で名を上げた?
日本側からの寄付・協力で建てられたのではなかろうか?
と、、暇人は考える。
以上、ウシュマル遺跡観光後に、市内一回り。





メリダの街から南のウシュマル遺跡に向う途中に ウマン Uman の村がある。


8:40  この賑わいはなんだ!
市場と教会があるだけにしか見えないが、、





野菜市場、、肉市場は道路を挟んで向かい。

バイクの前輪を外し、2輪の座席・荷台を付けている。
屋根は、、一体と長い。
何十台と待機している。




教会



正に田舎の教会で、、、何も無い、、、



ウシュマル遺跡のもう少し西に異動し、、マヤ人の民家を訪問した。

マヤ人の民家と言っても、、道路は整備され、電線も張り巡らせている。 (サンタ・エレーナ村)


広い敷地で、、、家畜も飼っており、、自給自足に近いが、、
裕福なマヤの家庭なのだろう、、、




壁は、、、木の枝を並べたものと、、漆喰で固めたもの、、、





近代的な家具類や道具類な見当たらなかった、、、
しかし、、、敷地の端の家屋には、、、プロパンガスボンベ、洗濯機、自動車、バイク、電線と、、、
全くの原始生活ではなく、、昔風を観光用に残しているという事だろう。


子供達は、、丸々と元気元気!





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