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≪  チチェン・イッツァ遺跡 (マヤ遺跡)  ≫

Chichen Itza

メキシコ・テオティワカン・アステカ・マヤ遺跡&民芸探訪 (9)
11/04/18〜11/04/25


  


メリダを朝、バスで出発し、国道180Dを、チチェンイッツァに向う。
ピステの町で国道180号に移り、チチェンイッツァ遺跡見学。
昼食後、シケケンのセノーテを観光し、
バヤドリドの町から国道180Dに戻り、カンクンへ向う。


国道180Dは、、終始 信号もなく快適な走行であった。

← チチェン・イッツァ遺跡の町ピステ、町と言っても
人家・店舗もまばらな田舎町にすぎない。


↓   ウシュマル遺跡に比べると、   ↓
格段に規模の大きな駐車場と観光施設。
朝10時過ぎだったので、比較的簡単に
入場手続きは完了した。



ゲートを通過して、、遺跡までは 300m程歩く。




この導入路の両側には、、おびただしい土産物露店が並んでいる。
この時点で、、ウシュマル遺跡の土産物の貧弱さに比べ、民芸品としての質は高いと感じる。




歩く事数分で、、ピラミッドが見えてくる。
街中の公園のように整備されているので、、
お目当てのピラミッドが見えてきても、
時空を遥かに隔てた遺跡に遭遇するという神秘性が全く無い。
( この点では、ウシュマルの魔法使いのピラミッドとの遭遇の方が )
(  その優雅な美しさと、適度な距離感故に、感動的であった。  )




■  チチェン・イッツァ遺跡
紀元後6世紀頃からの、マヤ独自の旧チチェン・イッツァ時代と
10世紀以降のトルテカ文明と融合した新チチェン・イッツァ時代とに分かれる。

旧チチェン・イッツァ時代は、マヤ文明特徴の定期的な遷都で、終了する。
10世紀頃に再びこの地に移り住みだしたが、その時は、中央高原のトルテカ文明の影響を受けていた。
生贄の心臓を捧げるチャックモール像、戦士、生贄の頭蓋骨、ククルカン、、とトルテカの特徴が顕著。
この時代を、新チチェン・イッツァ時代とする。
ウシュマルと同盟し権勢を誇るが、13世紀には、マヤパンを中心とした反乱にあい、滅亡する。




新チチェン・イッツァ時代の遺跡は、北半分で、
旧チチェン・イッツァ時代の遺跡は、南に位置する。


↓ 新チチェン・イッツァ時代の遺跡地区 ↓

ウシュマル遺跡は、各建物が独立した台地の上に建っていたので、メリハリが付いていたが、
チチェン・イッツァは、見える範囲では、、広大な同じ平地に建っている、、、
当時は、、現在なにもない平地に、木造の様々な建造物があったのかも知れない。
そうでも考えないと、、この何もない広い空間に、、違和感を感じる。



新チチェン・イッツァ時代 のククルカン神殿 カスティージョ・城

9層の基壇、91段の階段 が東西南北四面にある。
神殿の高さ25m 9世紀の初めには完成?


北の階段と西の階段は、完全に復元されている。  現在は全ての階段は登坂禁止なのが残念でならない。

階段下に、ククルカンの頭が造られているのは、北階段のみである。
階段横に入口のあるのは、北と南面だけ。
以前は、内部の見学が出来ていたようである。
( 観光客が出入している写真がある。 )


↓ 北の階段が、、春分の日と秋分の日の2回だけ、ククルカンの影が演出される階段である。 ↓

ガイドブックによると、夕陽の場合しか記されていないが、、
同じ太陽の角度なのだから、、朝日でも同じ角度で、階段の東面に影が出来るのでは??











↑↓  ククルカンの頭のある北の階段  ↓↑






↓  東の階段は、 復元も中途半端な状態  ↓




東の階段正面、  ククルカンの頭はない。




← 東の階段の上部に、、階段数を記しているのが確認できた。









↓   南の階段  ↓
南の階段も復元は一部だけ、
ククルカンの頭はなく、、入口が見える。



南の階段が一番放置されたままなのである。  基壇層の部分も化粧石は一部のみ復元、、、






↓  球戯場 と ジャガーの神殿  ↓





ジャガーの神殿


↓ ジャガー、、、強さの象徴と言うが、、可愛い ↓


柱、内壁には、、戦いのレリーフが刻まれている。





ジャガーの神殿から球戯場へ移動





球戯場の両端には、ククルカンの頭




マヤ遺跡最大の球戯場、、長さ150m  南からの展望

↑  内壁は上が内側に傾けられている。 反響が良くなる。  ↑




↓  壁は厚い、、 ↓


北の端の神殿?ロイヤルボックス?  → →


ジャガーの神殿の裏側、、、壁越しにピラミッドが見える。



球技のゴール




内壁の下部に彫られたレリーフ

↑  ゲームの勝者が名誉の生贄にされる。 斬首された首から血が飛び7匹の蛇に変身、、  ↑



北の端から見た球戯場全景


↓  頭骸骨の台座   ↓


生贄の頭蓋骨を晒す場所、、、トルテカ文明の影響が大





↓  ジャガーと鷹の台座 ?? ↓




最上部にククルカン、、羽のある蛇。  真ん中が戦士と鷹
















ポツンと チャック・モール





↓  金星の台座  ↓




鷲のレリーフ





ピラミッド (ククルカン大神殿) の真北に 聖なる泉 セノーテ がある。

500m弱の道の両側は、、土産物露店がビッシリと並んでいる。




聖なる泉


↓  直径60m 高さ20m  マヤ遺跡最大であろそうだ。  ↓




雨乞いの為に、処女を人身御供としたり、財宝が投げ入れられていたそうである。


↓ 聖なるセノーテ のイメージに反して水は緑色に淀んでいる。 ↓




来た道を戻り、、ピラミッドの北に出る。




↓  戦士の神殿と 千本柱の部屋  ↓




チチェン・イッツァ遺跡は、、全て登る事は出来ない。
ここにも登れず、、結局、、平地から眺めるだけである。
高い位置から、遺跡の全貌を展望、、とは、全くいかない観光なのである。





有名なチャック・モールも望遠で撮るだけ、、、








ピラミッド東の地面を発掘していた。



以上が  トルテカ文明と融合した新チチェン・イッツァ遺跡    約10世紀〜13世紀




☆  旧チチェン・イッツァ遺跡   約6世紀〜8世紀 (年代はアバウトである)  ☆

ピラミッド (ククルカン大神殿) の南から 5〜600m 南まで歩く。

ここも未知の両側は、、土産物露店だらけ、、、





↓  やや精巧な木彫り  ↓
値段は安いもので1万円弱でった。



高僧の墓、、納骨堂

神殿と全く同じ構造なんだけれど、、

複数に偽装墓の下で、財宝のある墓を発掘。



ククルカンの頭もある。  東面のはずだ。




赤い家、、鹿の家 ?








天文台 カラコル(蝸牛) 基壇は 9m ドームは 13m

旧チチェン・イッツァ遺跡地区にあるが、、新チチェン・イッツァ時代のものだそうである。


観測用の窓が正確に造られているとガイドブックにあるが、
天文台ではないという説明を現地で聞いたのだ、、、
とにかく、、マヤ遺跡は、、名前は適当、、時代はアバウト、、




尼僧院  基壇は20m  その上に多くの部屋




勿論、、尼僧が住んでいた訳でない、、、この立派な階段は、何らかの神殿である事は間違いない。
業務用なら、、こんな階段は不便である。  この幅、高さ、、威厳を強調する目的しかないだろう。







登れない、触れない、、見るだけという体感度の薄い観光を終えて、ゲートに戻る。


ゲート前の巨大な駐車場は、、入場時とは大違いで、超混雑、、チケット売場も長蛇の列。



体感度は希薄であったが、、土産物品の民芸度は、満足のいくものであった。


↓  入口の大きな施設内の店舗、、、超魅力の工芸品があった。  ↓
銀製の七宝作品である。 

↑  欲しいという欲望は高まったのだが、、、値段が、、小さいもので数万円!!!  ↑
後で後悔する、、という否定する声なき声が圧倒した。



露店の民芸品は、、結構面白い。




仮面は、種類も多く、、興味をそそられた。





木彫りばかりだと思っていたら、、木製と陶製に2種類ある。



色鮮やかなものが、陶製である。 (後に判明した事)

数千円と結構な高値を提示するが、、、ここで、半値位で冷やかしていたら、、
相手がひつこく食い下がって来たので、、帰路にもう一度交渉すると一旦離れる。
背中で、、言い値を聞きながら、、
帰路に 「 3体で180ペソ 」 と強気に出たら、、なんと交渉成立 !!
所が、、払おうと思ったら、、細かい金がなく、200ペソを出さざるを得ない。
これは、、釣りをくれる訳がない、、と思ったが、予想通りの展開。
結局 3体で 200ペソ=1,400円 で購入。
昼食のレストランで、同じ大きさの値段は、1体=300ペソだったから
メッチャクチャ、、上手い買物をした事になった。

↓   1,400円で購入した3体   ↓

木彫りにしては重たい、、と思ったのだが、、裏の仕上げも木彫り風であったので、木製以外は思いもしなかった。
が、、、自宅で壁に飾ろうとしていて、、叩いた音が、高い音、、、初めて結構焼き締めた陶製だと気が付いた。
冷やかしで購入したものにしては、良い買物をしたものである。
( 重量は、機内持ち込み制限の10kgぎりぎりセーフであった。 )
( 預けたスーツケースに入れたタラベラ焼きは、22kgでこれも ギリギリOK )
( こちらには、テキーラ3本も入れていた。 1本は重たいデキャンタタイプ )



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