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≪  思い出のヨーロッパ旅行 : 1996年08月 ペーザロ 編  ≫

ペーザロ、ウルビーノ、パルマ、ボローニャ
ヴェローナ、クレモナ、マントバ、ミラノ
1996/08/10 〜 1996/08/17


2016/08/15 作成





成田 11:45発のアリタリア航空が、、
予定通りに搭乗ゲイト前で待つが、、いつまで経っても搭乗開始とならない。

出発予定が、、2時、、4時、、と変更され、、客は、、怒りの限度を超えて大混乱。
アリタリア航空のイタリア人の責任者は、、オロオロ と 「ありがとうございました」 と
トンチンカンな挨拶のみ、、、、、、、、結局、、成田空港のフライト可能時間が過ぎて、、
乗客全員が、、空港外のホテルに宿泊する事になった。
原因は、、アリタリア航空は説明せず、、うわさでは、、修理部品が到着しなかったと。

お陰で、、初日のローマ泊、翌日の鉄道でのペーザロ行きは、、ダメになってしまった。
翌日ローマに着いて、、国内フライトでアンコーナへ、、アンコーナから鉄道でペーザロへ。
ペーザロ到着は、、深夜12時を過ぎ、、雨の中、、予定のホテルへ。

■ 予約していたロッシーニ・フェスティバルの初日のリッチアルドは見られなかったので、、
急遽 宿泊を1泊延ばして、最終日に新たにチケットを購入する。
同時に、、ヴェローナの初日の宿泊を、電話でキャンセルする。
ヴェローナ・アリーナの初日の カルメンは、没 となってしまった。

予約したチケットは、、2枚がパーとなり、、追加の購入金額が必要となった。
初日のローマのホテル、、鉄道のペーザロまでの乗車券、、ともに 大損である。

と、、芋蔓式に、、予定変更を余儀なくされ、、大混乱で始まったが、、
片言の英語にも関らず、、何とか収穫の多い旅行とする事が出来た。

アリタリア航空のトラブルは、、2度目なので、、決定的に 嫌いとなってしまった。



1996/08/10
(土)


成田
伊丹 8:00 → 成田 90:10

予定は  ↓
(成田 11:45 → ローマ 19:25)
だったが、、夜まで待たされて、、成田のホテル泊
1996/08/11
(日)

ペーザロ
成田 8:20 → ミラノ経由 → ローマ 16:00

ローマ AZ1127 20:50 → アンコーナ
アンコーナ 鉄道 → ペーザロ 深夜着
  観られず → ロッシーニ劇場: リッチアルドとゾライーデ
1996/08/12
(月)

ペーザロ
ペーザロ市内散策
午後、リミニ

           ペドロッティホール:なりゆき泥棒
1996/08/13
(火)

ペーザロ
パルマ
ボローニャ

          P.F. : シャブランのマチルデ
1996/08/14
(水)
ペーザロ
ウルビーノ

          ロッシーニ劇場: リッチアルドとゾライーデ
1996/08/15
(木)

ヴェローナ
ヴェローナへ移動
ヴェローナ市内散策

            アリーナ: アイーダ
1996/08/16
(金)

ヴェローナ
クレモナ
マントバ

             アリーナ: ナブッコ
1996/08/17
(土)

機内泊
ミラノへ移動

ミラノ 14:05 → 成田 8:55 → 羽田
羽田 13:40 → 伊丹 14:40



一日遅れで、ローマに着いて、、早速に予定変更の第一歩、、
直ぐに 国内空港へ移動し、、アンコーナ便のチケットを購入する。
直近のフライトの搭乗時間が過ぎていたので、、21時前の最終便となった。
数時間の余裕があったので、、鉄道でローマ市内の サンタ・マリア・マッジョーレ教会へ。

以前、、いつも閉まっていると誤解していたのを、、入口は反対側だと気がついたので、、
今回のローマ一泊中に見る予定だった。
ローマの予定はこれだけだったので、、辛うじて達成した。

アンコーナ空港に着いたのは、、夜の10時過ぎ、、、
田舎の空港の最終便なので、、乗客は全て出迎えの車で、、帰宅。
バスは、、無く、、、タクシーが1台だけ、、、これが無ければどうなっていたか、、恐ろしい。

鉄道駅アンコーナまで、、と、、乗車。
運転手、、メーターを倒さないで走る。
ボッタックル心算なら、、大声で喧嘩する覚悟で、、話しかける。
何が何でも、、鉄道駅に着かなければならないのだ。  乗るしか選択肢はないのである。
鉄道のペーザロ行きは、、深夜にあるのは確認していた。
運転手、、「ペーザロまで行こうか」 としきりに誘う。
結局は、、アンコーナ 空港 → 鉄道駅 が 2000円強だったので、、文句は言えない。

鉄道でペーザロに着いたのは、、深夜、、、雨が激しく降っている中、、
真っ暗なペーザロの田舎町を歩く、、、、当然に初めての街なので、、迷い迷い、、無事に チェックイン。

■  今回のホテルは、、ローマとヴェローナは、HIS(MIKIツーリスト)で予約済。
    ペーザロは、、予約対象外の街だったので、、自分で探して予約する。
    ただし、、8月のペーザロは、、海水浴、ロッシーニ・フェスティバル で満員。
    インターネットの無い時代なので、、FAXでやりとりし、、送金は、、銀行から、、と超大変。
    FAXの返信は、、数日後なのだから、、、

■  オペラの予約は、、、
    ロッシーニ・フェスティバルは、、ロッシーニ・フェスティバル協会に直接申し込む。
    これも FAX で依頼して、、銀行から送金  と超メンドクサイ。
    今年で 20年以上になるが、、未だにロッシーニ・フェスティバルの案内状が、国際郵便で送られてくる。

    ヴェローナのアリーナ・オペラは、、国内の代理店に依頼する。
    代理店と言えども、、現地の代理店とFAXのやりとりらしく、、予約できたのかどうかの確認が遅い。
    ぎりぎりで 取れなかったでは、、困るので、、安全を期して 一部を2箇所に依頼。
    結果的には、、全部取れたので、、一部はダブってしまい、、勿体ない出費となった。
    今の時代から考えると、、アホらしく、、無駄な危険を冒しているのだが、、
    当時としては、、、確実にチケットが必要なので、、、我ながら金回りが良かったのかと感心する。
    C.F. 2000年のドイツ旅行からは、、インターネットのMAILで予約が出来るようになった。



■ ペーザロ 1日目は、
   午前中にペーザロ市内散策
   午後は、、鉄道で リミニの街へ、、
   夕方、ペーザロに戻り、、ロッシーニ学院の2階の ペドロッティ・ホールで 「なりゆき泥棒」鑑賞。

■ 2日目は、 朝から 鉄道で、、パルマ、ボローニャの街探索
   夕方、ペーザロに帰り、、パラフェスティバル で 「シャブランのマチルデ」鑑賞

■ 3日目は、、朝から バスで ウルビーノへ、、
   夕方、ペーザロに戻り、、ロッシーニ劇場で 「リッチアルドとゾライーデ」鑑賞

■ 4日目は、、チェックアウトし、、鉄道で ボローニアへ移動。


-----  ペーザロ市内散策 -----


宿泊したサボイホテル前の リパブリック通り、、を 海岸へ、、リベルタ広場から アドリア海の眺望




↓  街中に向かい、、メイン通りのロッシーニ通り  ↓
ロッシーニの生家  や  カテドラル(大聖堂)




ロッシーニ通り、、街の中心的なポポロ広場
噴水があり、、周囲に 裁判所、郵便局、市役所、、ドゥカーレ宮殿




ロッシーニ通りを離れ、、ロッシーニ学院へ




ロッシーニ通りに戻り、、ロッシーニ劇場

大劇場ではない 地方都市のオペラハウスなので、
ロッシーニ・フェスティバルのメイン会場とはならない。



ロッシーニ通りを更に駅方向へ進み、、ガリバルディ像のあるガリバルディ広場




ロッシーニ通りを離れ、、北東へ
↓  サンフランチェスコ・ダッシジ通り の サンタ・マリア・グラッチェ教会へ  ↓
立派な教会だ。




↓  堀に囲まれたコスタンツァ城砦  ↓




西へ移動して、、チヴィッチ博物館 = 市立博物館




チヴィッチ博物館
← ベリーニの 「ペーザロの祭壇画」
1470年代
ドリア広場の サンタマリア・デル・ポルト教会



他にも、、教会は多数ある。  立派な建物もあるが、、田舎街の範囲だ。
勿論、、ジェラート屋も立派にある。


レストランも何軒かあるが、、入ってみたいものは数軒のみ。

↓  気に入って3度程訪れた レストラン  ↓

初めて入った時、、イタリヤ語メニューを辞書で調べていたら、、
主人が、、気を利かして、、英語メニューを持ってきてくれた。
選んで、、指差すと、、
主人は、、行数を数えて、イタリア語メニューの同じ行を差し、、
これで良いかと確認する。
私は、、肯くしかない。

食欲の湧く、、メロンとハム  が私の定番
スパゲティは、、高級ではないが美味しく食べれる。

2度目の時、、、
スパッゲティを フォークに巻き付かせていると、、
マダムが、、大慌てで、、スプーンを持ってきてくれた。
日本人は、、スプーンの上でスパッゲティを巻くものだ
と思っているのだ。

アットホームで、清潔で、、居心地が良いのである。

★ オペラ前に、、ロッシーニ料理を看板にしたレストランに入ったが、、
前菜のサラダも アサリ入り
パスタもあさり
メインもアサリ、、と
人手と食材が足りないのか、、
わびしい気分で、、店を出た。

★ 小さな中華料理店でテイクアウトした。
店のアンちゃん 「何処から来た?」
「 大阪の近く 」
「 大阪の タナカ を知ってるか!、、私の友達だ〜 」





■  ロッシーニ・フェスティバル、、

大規模な演奏会は、、3種類、、日替わりで会場を代えて催される。

オペラハウスのロッシーニ劇場(中規模のオペラ)
ロッシーニ学院の2階講堂 ペドロッティホール (ファルサ専用)
主会場の パラフェスティバル (体育館を改装したような雰囲気)


フライトの遅れで、、予約した一日目が見れなくなったのだが、、
それが、、ロッシーニ劇場だったのだ。
ペドロッティホールなら、、諦めてもよいが、、
ペーザロで、お目当てのロッシーニ劇場で鑑賞しない、、なんて最悪なのだ。
その為に、、ペーザロで 一泊延泊して、、ロッシーニ劇場での観劇をしたのだ。
幸い、、チケットは購入でき、、ホテルの延泊も、、小さな部屋に替わったが OK。
ヴェローナのホテルにも 電話連絡で 通じた。 アリーナのカルメンは没となったが、、



ペーザロ 1日目

ペドロッティー・ホールでの なりゆき泥棒

冷房の効きが悪く、、熱気ムンムン



↓  2日目、、パラフェスティバル での シャブランのマチルデ  ↓

幕間の休憩は、、外の路上に出る。
熱演で、ロッシーニ・ファンの熱気ムンムン




↓   ロッシーニ劇場 リッチアルドとゾライーデ ↓

                                                     ↓  絵葉書をコピー ↓

こちらは、、場内にカフェあり、、ただし大混乱




追加購入した 14日分のチケット


      と

没になった 11日分のチケット


没になったのは、、
14日の ヴェローナのカルメンも、、


アリタリア航空のだらしなさで、、
アンコーナへの飛行機代
没になったチケット2枚
追加購入のチケット、
没になったローマのホテル代
ペーザロの延泊代、、
と、、諸々 10万円近く無駄金を費やした。

今年で、、20年経過するが、、、未だに毎年、、ロッシーニ・フェスティバルから 案内状が郵送されてくる。




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