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≪ ポロンナルワ、10〜12世紀の大仏教遺跡 ≫

Sri Lanka Polonnaruwa


2010-10-02 〜 2010-10-07
スリランカ、シーギリヤ・レディに逢いたくて (6)






■ 1017年に、古代シンハラ王朝は、南インドのチョーラ王朝に、崩壊させられる。
   チョーラ軍は、ポロンナルワを首都とする。

   1055年に、南部に逃れていたヴィジャヤ・バーフ1世が、チョーラ軍を撃退し、
   1070年には完全に追い出し、1073年に、ポロンナルワを王都とする。

   ヴィジャヤ・バーフ1世の孫パラークラマ・バーフ1世は、初めてスリランカ全島を統一する。

   パラークラマ・バーフ1世は、、灌漑設備など国力増強に努め、仏教にも力を入れる。
   やがて、ビルマやタイからも仏教僧達が訪れる大仏教都市となっていった。

   しかし、13世紀後半には、再びチョーラ王朝に追われ、スリランカ中央部に逃れる。


■ スリランカ島の北部のマンアール島の先には、アダムス・ブリッジという砂州があり、
   干潮時には、、インドと行き来が出来、、軍隊のみでなく、、日頃から通商にも利用されていた。
   この為、、南インドとスルランカは、、親密な時期もあり、また幾度も、相互に侵略を繰返している。


シーギリヤのホテルからポロンナルワの間、、、

↓ ミネリヤ貯水池 ↓


この辺りは、、自然保護区で、、野生の象も複数見つけた。





ポロンナルワの遺跡群には、、外国の観光客よりも、、現地の観光客が圧倒的に多かった。



現地の観光客といっても、、、私には、、インド人観光客との区別がつかないのだが、、、





普段着のように思えるのだが、、、ビデオカメラを撮っているのだから、、観光客だと思うのだが、、、




ポロンナルワの遺跡群は、南北に10km以上展開されている。


先ずは、パラークラマ貯水池の東に位置する中央部から見学し、北上する。









■ 宮殿跡 ■

パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡

幅13m × 奥行き 31m × 地上7階建て


壁に空いている穴が、、床柱を通す為のモノ
当時は、7階建てで 1000室もあったそうである。





白い部分が漆喰で当時のままの内装である。





現在は3階までしか残っていない。
白い部分で、、室内の装飾の様子がうかがえる。



7階建てを想像して見ると、、、煉瓦つくり、、、表面は白く塗られ白亜の殿堂、、、驚きである。




宮殿の東に位置する 沐浴池




井戸跡




宮殿の北東にある 閣議室、、、絵になる光景である。







元気なお母さん、、、頼もしい限りである。





基台の彫刻、、象 → ライオン → 悪魔?




閣議室の入場階段




ムーンストーン



閣議室、、、奥の中央に王の座、、各柱には彫刻が施されて、座る大臣の名が記されている。




座る大臣の名が記されているという石柱








宮殿周辺部の見学を終え、、1km程北の クワドラングル へ移動





■ クワドラングル ( ダラダーマルワ )

城壁で囲まれ小高くなった四角い敷地に11の建物が建っている。

当時のポロンナルワの仏教の中心的地区だそうな。





ラトナギリ・ワタダーゲ ( Vatadage = 仏塔 )



中には、4体の仏像が、、東西南北を向いている。






ラトナギリ・ワタダーゲ内部の釈迦坐像      



仏歯寺跡、、サンスクリット碑文がある。
ニッサンカ・マーラ王時代の建立



アタダーゲ Atadage ( 八遺宝の家 )
チョーラ軍を破ったヴィジャヤ・バーフ1世の建立、ポロンナルワ最初の仏歯寺跡




釈迦像が魅力的である。




インド人か、、スリランカ人か?




   
ニッサンカ・マーラ・マンダパヤ   



手前 菩提樹跡 ( 涅槃堂 ? )、、、奥 トゥーパーラーマ




トゥーパーラーマ




トゥーパーラーマ内部



サトゥマハル・プラサーダ




集会場から見たサトゥマハル・プラサーダ
ガルポタ 石の本


パラークラマ・バーフ1世 ( 在位 1153〜1186年 )
中央集権国家を再構築する為に
( 仏教勢力の強大化で統治が難しくなっていた。 )

アヌラーダプラ時代には、、3派に分かれていた宗派
マハー・ヴィハーラ ( 大寺 )
アバヤギリ・ヴィハーラ
ジェータヴァナ・ヴィハーラ
の各宗派を、国立サンガを設け
マハー・ヴィハーラ ( 大寺 )に統一する。
他の二派は徹底的に解散させる。

仏教、国力の増強に尽くすが、、
ジャヤヴァルマン七世のアンコール王朝とも交流する。
(在位1181〜1220年 で、アンコール・トム、バイヨンを建立)
ジャヤヴァルマン七世は、仏教徒












3km程北に移動する。





↓  上の○が、ガル・ヴィハーラ  ↓
下の○が、キリ・ヴィハーラ、ランカーティラカ








現地人は裸足、、、




ガル・ヴィハーラ の仏像群
パラークラマ・バーフ1世の造営

   ↑   坐像  ↑

↓  立像と涅槃像   ↓       


坐像は高さ 4.6m



立像の高さは 7m、涅槃像の長さは 14m





↑  涅槃仏  ↑


↓  涅槃犬  ↓

観光者、参拝者の往来を超越して、、涅槃中である。









キリ・ヴィハーラ、ランカーティラカに向う途中に、、土産物屋群が、、、


この青い娘さんには、、宮殿跡でも逢った。









キリ・ヴィハーラ







ランカーティラカ




↓ インドのカジュラーホを思わせる豊満な彫刻 ↓
全てが残存しておれば圧巻であったろうに、、、




↓  奥行き52m  ↓


仏像の高さは、17.5m



残っている左足太ももの装飾から想像して、、華麗な彫刻であったろう。






52mの外壁、、残念ながら殆んど剥げ落ちている。
側楼の残っている壁画の一部、色彩が鮮やか



ランカーティラカの裏の僧坊跡
水洗トイレの跡


今回訪問した遺跡群の北にも、南にも、、重要な遺跡があるが、、
残念ながら訪問できなかった。

紀元前ではなく、、紀元後10世紀以後の遺跡なので、、彫刻が魅力的であるが
磨耗、破損、、、と 往時を偲ぶ事ができない。

インドの数々の彫刻や、、クメール遺跡の彫刻群の素晴しいさを知っているので、
この地の彫刻群の保存状態が良ければ、、、残念でならない。





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