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≪ キャンディ、仏歯寺 ≫

Sri Lanka Kandy
シーギリヤ 〜 キャンディ沿線
マータレーはイスラミック


2010-10-02 〜 2010-10-07
スリランカ、シーギリヤ・レディに逢いたくて (7)






早朝から シーギリヤ・ロックを探索した後、
ダンブッラを経由して、国道9号線を、山岳都市 キャンディへ南下する。


国道6号線と国道9号線が交差する時計台を、左に折れ
ダンブッラの新市街を通り、、黄金寺院の前を通過、、



ダンブッラ から20分程、、見慣れた緑に囲まれた快適な国道を行く。


ナーランダ付近、、、 (町名は、、時刻とGPS軌跡で推測しているだけで、、確実ではない。)

↓  バスターミナル      市場  ↓

ナーランダには、、セイロン島のヘソと言われるナーランダ仏教寺院遺跡がある。

途中、、スパイス・ガーデンで ヒドイ昼食で 50分も費やす。


昼食後、10分で、アルヴィハーラ 通過

↓ アルヴィハーラ石窟寺院入口、、、、  5分後、、、賑やかな町は大雨になっていた。  ↓
アルヴィハーラ石窟寺院は、紀元前1世紀創建で、スリランカで4番目に古い。
地獄絵図等の鮮やかな壁画がある。



マータレーの北地区に入る。  細長い街並みが続く。



学校の下校時間帯である。  細長い街に次から次へと学校が点在。
白い学生服が新鮮に映る。

初めは、、非宗教色の学生さん達だったが、、次第にイスラミックな制服の学生さん達が多くなる。


この地域は、、スパイス栽培の為、、南インドからの移住者が定着したので
イスラム教の人達が多い。  ヒンズー教の人達も混在している。


長い距離を、、山並みで街は途切れるが、直ぐに次の市街地になる。
何処からが、、マータレーか判りそうに無い。





ヒンズーか仏教か、、、 構えたカメラに応えて、、笑顔と共に手を振ってくれる。
嬉しい瞬間である。






イスラム学校の女性の 頭からの白い制服は、、とても神秘的で、、清潔感に溢れている。


しかし、、山岳地帯の狭い谷沿いに展開する街自体は汚い。
川には、ゴミが巻き付き、、スラムの如き場所も見かける。



↓ マータレー中心に近づくと圧倒的に イスラム系、、 オレンジ、黄色に空色、、と鮮やかな対比 ↓





↓ ISLAMIC BOOK CENTER ↓





↓ 歩く姿も美しい、、、、ゴミ集積場の存在感は埋没する。 ↓



↑ 背後に見える衣料品店のビルの派手な色、、展示衣装の艶やかさ ↑

外で見せる宗教的要因の秘匿性と、、屋内での人間本来の自由さを、、想像する。








キャンディ市内に入ったのは、、夕4時半を過ぎていた。

ホテルでチェックインして、1日3回しかない仏歯寺の仏歯部屋開扉時間に合わす。


キャンディ湖



■  キャンディは、、シンハラ王朝最後の王都である。

シンハラ王朝は、南インド勢力に追われ、度々南下して遷都する。
そして、西洋の植民地となり、キャンディを最後に滅亡する。

最初は、ポルトガルに侵略され、、オランダと組んでポルトガルを追い出し、
オランダと協調して、一時は栄えるが、やがてオランダと対立。
今度は、イギリスと組んで、オランダを追放。
最後は、、1815年にイギリスに滅亡させられる。
キャンディに遷都してから 300年の事である。

以後、、紅茶栽培を中心に、イギリス植民地として、街は栄える。


■  仏歯とは、、
紀元前543年、火葬された釈迦の犬歯である。

紀元後、301年 or 302年、、
南インドのカリンガ王が、仏歯を祀っていたが、グシーバとの戦いに敗れ
娘ヘーマ・マーラに仏歯を持って、スリランカに逃れるように遺言。

ヘーマ・マーラは、、長い髪の毛を巻き上げ、その中に 仏歯を隠し
夫ダンタと共に スリランカに逃れる。

仏教を中心とする国家にとって、仏歯の守護 は、王の権威を高めるもの。
ポロンナルワの仏歯寺、、1590年キャンディの仏歯寺と、、王都と共に移動する。



1日3回の最後の仏歯寺の仏歯部屋開扉時間 18:30 (プージャー)
開扉前に、、キャンディ芸術協会で、キャンディ・ダンス見学。


↓ キャンディ芸術協会     劇場内の客席  ↓

↑  キャンディ・ダンス  ↑

終始 単純なドラム中心の伴奏で、、伝統を加味した踊りが、、、
ボリショイ・バレエに夢中の私にとっては、、、、
民族舞踊というのは、、全く面白くない。
覚悟をしていたが、、単調なドラムには嫌悪感

観光地でのショウで興味の沸いたのは、、
バンコクのカリプソのニューハーフ・ショウと
西安での 優雅なショウ ぐらいである。
共に、観客側にたったプロの演出であった。



キャンディ・ダンスの後は、、、外は大雨である。

雨の中、、仏歯寺まで200m歩く。

雨の中、、身体検査、、履物預け、素足、、超混雑、、と
写真撮影どころではない。

↓ 雨の中の仏歯寺  と  天気の良い時の仏歯寺 ( ガイドブックより ) ↓




傘をたたんで、身体検査室へ、、
傘を開いて、、履物を預け、、素足で雨の中へ、、

天気予報は、、旅行期間中 雨マークであったが、、
今までは、、夜は雨、、昼は、、晴れ曇り とラッキーの連続であったが、
今夜だけは、、まともに観光タイムに雨に祟られた。

ま、、この時だけなので、、良し とすべきであろう。
寺院内へは、、壁画のトンネル
夜、寺院内、、手には濡れた傘、、
マトモに写真は撮れない。


仏歯を祀る部屋は、、この2階である。

ここで初めて気が付いた。
キャンディ・ダンスの単調な伴奏は、ここに起因すると、、



↓ 2階に上がる、、、18:48 、、閉扉が迫る。   ↓

この奥が、、仏歯の部屋



小さな窓から、、一瞬見えるが、、流れに逆らって留まる事は出来ない。
↓ 通過後に、、背後から望遠で撮影するが、、焦点は合わない。   ガイドブックより参照  ↓



拝観できるのは、、仏歯が入れられた容器だけである。

仏歯 そのものは、、10年に一度だけ公開されるそうである。
現地ガイドは、、3度見たそうである。


直ぐに閉められ、、、直ぐに、、待機していた特別参拝者だけが、、中での参拝を許される。



全てが、、混雑の中、、瞬時の出来事なので、、有難味も何も感じる余裕はない。


仏歯以外に、、周囲にお堂がある。

↓ ヘーマ・マーラは、、長い髪の毛を巻き上げ、 ↓
その中に 仏歯を隠し
夫ダンタと共に スリランカに逃れる。

有名な絵はここにあった。







釈迦背後のデザインが印象に残る。





外は小雨、、



仏歯部屋の一階部分



仏歯部屋背後の大きな部屋












慌ただしい観光を、、、仏歯を見た、仏歯寺に参拝したという実績だけで

クイーンズ・ホテル Queen's Hotel 前でバスを待つ。




キャンディの町を、、ゆっくり散策、ショッピングの余裕は全くなかった。

夕食は 宿泊ホテルで、、、

スリランカでは、、カレー三昧は覚悟していたが、、
宿泊した高級ホテルでの食事は、、食べれる物があったが、、
移動途中の、、レストランでの昼食は、、、、
何だか正体の判らないものばかり、、、
何だろう? と スプーン一杯ずつ食べたので、
体重は相当に増加していた。







マハウェリ河沿いに建つ高級リゾートホテル
Hotel Chaaya Citadel





豊富なサラダ類  と スイーツ類




マハウェリ河







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