写真豊富な、のぶながワールド
■ ウィリアム・ブーグロー(ブグロー)は、 1884年フランス美術アカデミー会長になり 印象派の画家達(セザンヌ、ルノワール等)を、サロン出品から落選させていた人物である。 印象派愛好家を基準にすれば、独善的な非情の極悪人なのであるが、、、、 古典を尊重し理想を求めて、熟練した高度なテクニックを有し、かつ 19世紀後半のフランス美術界で強烈な権力を握っていた、”エライ人”なのだが、、、、、、、、、、 古代神話の主題から風俗画に至るまで 美の極致と言えるほど、甘美で精緻な技術を駆使し、 親近感を覚えてしまう現世的な美しい顔立ちで表現、 長年古典鑑賞で見慣れている為、安心できる構図、、と 芸術に触れて生活している者には、突然の出会いにハッと驚く作品群 どれをとっても手抜きの無い精緻さ、制作姿勢の真摯さが感じとれる。 なのに、、少し恥ずかしくなる。 あまりの甘美さゆえに、通俗的なのではと、自戒の思いが恥ずかしさを刺激する。 |
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どの人物を見ても 優美で 清潔で |
<兄弟愛>1851年 (Boston,Museun of Fine Arts) 147 x 113.8 cm |
← 一目見て ラファエロ、 ダ・ヴィンチ、 ミケランジェロ の要素がひらめく 表題は「兄弟愛」なのだが ラファエロの聖母子を連想、 でも、 人物の配置は同じではなく、 母親の形は ミケランジェロの バチカンのピエタ似。 被り物がダ・ヴィンチの 聖アンナを連想、、 古典とは違うのだが 古典そのままの印象なのだ。 |
<春> 1886年 (Nebraska,Joslyn Art Museum) 213.4 x 127 cm 右下の天使の身体の一部しか描かれていない。 バランスの観点から不自然 |
<プシュケを略奪するキューピッド> 1895年 (Montreal,Private Collection) 209 x 120 cm ←の春と同じ身体をくねらせる プシュケに蝶か蛾の羽が付いている |
<物乞い>↓→ このような主題でさえ 美しき人物を描いてしまう <小さな物乞い> 1890年 (Syracuse University Art Collection) 161.6 x 93.4 cm |
<貧しい家族> 1865年 (Birmingham Museum and Art Gallery) ↑の拡大画像 ↓ |
<聖母子と聖ヨハネ> 1882年 (New York, Cornell University Museum) 190.5 X 110.8 cm |
←宗教画、↓古代主題画も 伝統的な構図を外さない。 ← 幼子が十字架の形をとっているのが ラファエロとは全く違う、、 <ホメロスとガイド> 1874年 (Milwaukee Art Museum) 208.9 x 142.9 cm ギリシャの盲目の詩人ホメロスを案内する少年 |
<秘密> 1876年 (New York, Historical Society) 後ろの女性の指が、ダ・ヴィンチの聖ヨハネを連想 |
<座る裸婦>1884年 116.5 x 89.8 cm 何故か、ダ・ヴィンチの岩窟の聖母を思い出す |
<誘惑> 1880年 (Mineapolis Institute of Arts) 97 x 130 cm |
<誘惑>の拡大画像 全体のイメージからは、「誘惑」が不似合いなんだけれど、 ”りんご” がアダムとイブの ”りんご” の意味なのか とすれば、古典的、、なのだが その先の展開が画面には描かれていない。 |
← <ヴィーナスの誕生> 1879年 (Paris, Orsay) 299.7 x 217.8 cm ボッティチェリのヴィーナスよりも ラファエロのガラテアの連想が強い。 ガラテアの下地にヴィーナスの貼付けだ。 |
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→ <ニンフとサテュロス> 1873年 260 x 180 cm バッカスの従者サテュロスは 美しいニンフの引き立て役である。 かわいいねぇ |
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↑←の3点は同じパターン ← <蜂の巣の如し> 1892年 このあたりの作品は 主題の表現よりも 女性の甘美さが目立つだけ、、、 芸術的ではあるが、 通俗的な装飾画だと 軽い評価をされてしまう、、、 |
<ニンフ達> 1872年 (California, Haggin Museum) 144.8 x 209.5 cm 正に絵の中の世界でのみ可能、、 こういう絵を描いている時の画家の心境はどうなんだろうか? 裸体ばかりこれだけも、リアリティに描き続けて、、ずっと真剣に冷静にいられるのだろうか、、 |
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← <エロスの誘惑に抗する娘> 1880年 (North Carolina Museum of Art) 160.8 x 114 cm この程度なら芸術的! 愛に対して恥じらいを感じる 若き乙女の魅力が 健康的に伝わってくる。 矢を持つキューピッドの 陽気ないたづらっぽさ、、 魅力的な絵である。 |
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<フローラとゼフュロス> 花の精フローラを起こす 西風ゼヒュロス |
<復讐の女神達に追われるオレステス> 1862年 (Norfolk, Chrysler Museum of Art) 231.1 x 278.4 cm ↑の拡大画像 ↓ 怒りを露わにする復讐の女神達の頭髪は蛇である。 このようなテーマの含みのある絵をもっと多く描けば、ブグローの評価も変わっていただろうに、、 甘美さだけが印象に残るのは、やはり軽んじられる。
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<夕暮れ> 1882年 207.5 x 108 cm (Havana, National Museum of Art) |
ブーグローの作品は1200点ほどあるそうな。 紹介されて目にする絵は 殆んどが美しき女性像である。 ↓ <慈愛> 1878年 (Massachusetts, Smith College Museum of Art) 193 x 115.6 cm |
<天使の歌>部分 1881年 (California, Museum at Forest Lawn Memorial-Park) 213.4 x 152.4 cm 優しく、美しく、汚れなく、、あまりにも天国的だと物足りない 芸術とは、深い葛藤を勝ち抜いた後の、優美な平安でないと、、 どこかに、葛藤を経験した痕跡を意識させなければ、見る人の心にうったえてこないのだ。 深い葛藤を経験した者が、美しさの価値も、その貴重さを大切にする。 ベートーベンのように最後まで葛藤、、、歓喜は理想の領域にあり、、、、というのも寂しいが モーツアルトのように、、素晴らしき優美さに満ち溢れ、、しかも常にそれだけではない。 難しいのだ人生は!!! A ha ha ! |
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■ 生まれながらに才能を発揮し、期待され、成功し、素晴らしき配偶者に遭遇し、子孫に恵まれ、、 このような人に必要な芸術には、、甘美さだけで十分なのかも知れない。 |