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≪  杭州の歴史 : 観光的観点  ≫

江南の要衝
観光用風物を歴史的に整理する。


2016/01



何度も訪れて、大のお気に入りの街 ”杭州”
淅江料理との相性が良いのが最大の理由だと思うのだが、、、
浄慈禅寺の盧遮那仏(毘盧遮那仏)、霊隠寺の華厳三尊等の奥深い造形から、
誠の宗教心を体感し得る仏師・僧侶の存在を感じるのが心地良いからでもある。
何か良いものに出会いそうな期待が常にあるのだ。

今までの体験を歴史的に整理・理解しておけば、未知の素晴らしいモノに気がつく確率は高くなる筈だ。





紀元前 222年
始皇帝が、全国を42郡に分けた内の会稽郡(蘇州)の下に、ここに銭塘県を設置した。
秦〜漢時代には、銭塘江から、堆積した土砂で 西湖が切り離された。
東晋
326年
霊隠寺 建立
永福禅寺
 

589年
610年
杭州という名称を初めて使用
京杭大運河 完成

後周
954年
浄慈禅寺 建立
呉越

970年
975年
国都
六和塔 建立
雷峰塔 建立
長江デルタ地帯=江南 地域で農業生産力が向上し、商業も活発化する。
北宋
1090年


1127年
蘇堤 (東坡居士が杭州知事時代に築かせる)
保俶塔 (現在は1933年の再建された塔)

北宋の首都・開封が金の侵略され、北宋滅亡 (靖康の変)
               
南宋

1156年
1221年
国都 (当時の名称=臨安)
六和塔 再建 (呉越時代の塔は、1121年に破壊されていた)
岳王廟 女真族の金に侵略された時の名将岳飛(1103〜1142)を祀る廟
13世紀末には 人口90万人の大都市


マルコポーロが、杭州の繁栄振りを 地上の楽園と評した。


杭州と言えば、南宋の官窯のイメージが強かったので、南宋時代のの首都としての繁栄が主たるものと、なんとなく思っていたのだが、
時代順に整理してみると、、霊隠寺の建立された 東晋時代から京抗大運河の必要性のあった  そして、
浄慈禅寺、六和塔、雷峰塔の建立された 五代十国時代 と 南宋以前の時代が 重きをなしていたのだと思わされる。



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