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■ ルクソール西岸の王家の谷、ツタンカーメン王墓、ハトシェプスト女王葬祭殿(年代等の解説は、ふくろうの本「図説古代エジプト1,2」を参考にしました。)
メムノンの巨像(アメンヘテプ3世葬祭殿跡)見学。
■ 紀元前1500年頃にトトメス1世が、
エル・クルンと呼ばれるピラミッド型山裾の谷に初めて岩窟墓を建設。
総計62基の王募が確認されているが、盗掘を免れたのはツタンカーメン墓だけ。
■ 紀元前1400年頃、繁栄の絶頂期に、東岸のカルナック神殿(アメン神の神官団)の横暴から逃れる為
アメンヘテプ3世が、西岸に広大な王宮、政庁、葬祭殿を建設し、(メムノンの巨像)
次のアメンヘテプ4世はアマルナ遷都し、宗教革命を起こす。
東岸のカルナック神殿全盛の時代の次の時代の遺跡見学である。
長いエジプト歴史を少しでも体系的に把握する為に、下の簡易年表で時代を確認。
観光に関連した<<エジプト歴史表>> [■]の部分を観光。 BC3000 <観光>
ピラミッドBC3000
BC2620
BC2520
エジプト全土統一
ジュセル王、階段ピラミッド造営
クフ王、ギザの大ピラミッド造営
BC2000 <観光>
カルナック神殿
王家の谷
ツタンカーメン
アブシンベル神殿
モーゼ出エジプトBC1520
BC1350
BC1275
トトメス1世、カルナック神殿造営、王家の谷を開く
ツタンカーメン擁立
ラメセス2世、カデシュの戦い
BC1000 <観光>
コム・オンボ神殿
エスナ神殿
イシス神殿
アレキサンドリア
BC 332
BC 30アレキサンダー大王征服
クレオパトラ7世 自殺0 <観光>
古代神殿、神像破壊AC325
AC380
エジプトのキリスト教は異端とされ、以後 「コプト教」と呼ぶ。
ローマ皇帝テオドシウスがキリスト教公認し、それ以外は邪教と思われ、エジプトの神殿、神像が破壊、破棄された。AC1000 <観光>
スエズ運河
アスワンハイダム1869
1970スエズ運河完通
アスワンハイダム完成
↑↓ ナイル川から王家の谷手前までは、広大で緑豊かな耕地帯 ↑↓ 朝早くから 気球 ↑ が飛んでいた。 |
↑ 王家の谷と緑地の境界は明確である。 ↑ |
↓ピラミッドを思わせる<エル・クルン>↓ ↑王家の谷のほぼ全景 ↑ |
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↓バス駐車場から、王家の谷 入口までの乗り物 |
↓歩く人も |
↓帰りは物凄い人、人 |
← 日本語で説明する現地人ガイドのマホメット・アリ氏 28歳、もう直ぐ結婚式だそうだ。(全行程のガイド) 王家の谷入場券(30LE)で王墓を3箇所入れるが、 ツタンカーメン方墓だけは別料金(40LE)がいる。 ラメセス9世、ラメセス3世、タウセルト王妃の3墓と ツタンカーメン墓に入ったのだが、、、 |
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ツタンカーメン墓はただ有名なだけで、 極端に小さく、見れるのは1室のみ。 → → (金払って損した気分) 他の3墓の方が遥かに見ごたえがあった。 王墓内は全てカメラ持込禁止! (↓↓王墓内の写真はガイドブックより転載 ↓↓) |
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どの王墓も壁画はよく似たものである。 <顔>は横から、、<胸>だけは正面から、、<足>は横から、、と描き方は定型化されている。 |
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↓ ピラミッド型のエル・クルンの頭が覗く、、、この岸壁の向こうが王家の谷なのだ。 ハトシェプスト女王葬祭殿 ↓ |
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↑おびただしい車の量、 駐車場から入口まで距離がある |
↑ 現代のハトシェプスト女王 |
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↓入口から葬祭殿までも距離がある |
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広い大きい、、が 目玉になるものが無く 殺風景な印象 現代のミイラ → |
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↑ 最上階を見る |
↑ 1段テラスから2段テラスへ降りる階段 |
↓ 高さは20mもある。 比較の人と共に撮らなければ判らない。 今回の旅行では、何故か、この巨像が一番のお気に入りである、、、、 |
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← メムノンの巨像は道路の直ぐ横にある。 土産物屋も少し並んでいる。 |
ハトシェプスト葬祭殿前の土産物小屋とメムノン巨像前の土産物小屋、そしてクルーズ船前の小屋で、神々の彫像を4体購入。 相場が把握できたので、買う度に大きな物を買う。 |
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↓彫像屋の実演 |
↓ 彫像屋店内、、高い高い |
バスの前で水を売る子供 まだ内気で、 遠慮がちに寄って来て 立っているだけ。 |
← パピルス屋の実演 本物は、手書きで作者のサインがある、、、 小さいのを2枚購入。 自家用の記念品。 |