写真豊富な、のぶながワールド
■ 前回訪問したのは1997年だから、7年ぶりの再会である。
ローマ滞在の目的は、ジャンロレンツォ・ベルニーニ( Gian Lorenzo Bernini ) の彫刻を体感し、
そして、どうしても開館時間に会わなかったファルネジーナ荘のラファエロの「ガラテア」を見る事。
後は、勝手知ったるローマで、長旅の疲れを癒す為に、ノンビリと散策して休養するのが目的。
アッシジ経由でテルミニ駅に着き、駅前ホテルに荷物を置き、
早速、サンタ・マリア・マッジョーレ教会にあるベルニーニのお墓にお参り。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会 主祭壇右横にさりげなくある ← ベルニーニ家のお墓 部分拡大画像 → |
■ サンタ・マリア・ヴィットリア教会( Church of Santa Maria della Vittoria ) |
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ここには最終日にも訪れた。 両日とも10〜20人位の鑑賞者が見とれていたが、 ガイドブックを見ている人もいたので観光客も混じっている様子。 いずれにしろ他の観光寺とは違う落ち着いた雰囲気に満ち溢れている。 右の通路の奥では、若干のベルニーニの資料を売っていた。 |
■ フランシスコ・ア・リーパ教会( Church of San Francesco a Ripa ) ↓サンタ・マリア・イン・トラステヴィレ教会の前の広場を少し進むと、一直線の道の奥にリーパ教会が見える。 |
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← 今日は日曜日、、20人程でミサ(礼拝?)の最中 最後列に座って参加、、 30人程までに信者さんは増える。 約50分程、、 牧師さんが読む、金杯で飲む、信者さんが3人交代でテキストの一節を朗読、、牧師さんが正面の小さな扉から小瓶を取り出し、金杯で飲む、、 時々、小さな子供の声が、、、 そして、信者さん同士が握手を、、先日のUdineで体験済みなので、今回はこちらから、横の人、前の人と積極に握手を求め、違和感を出さないようにしたつもり。 後10分程で終了するはずだ。 |
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物静かに儀式は終わり、信者さん達は外へ、、ゆっくりと左手奥の福女ルドヴィカ・アルベルトーニの元へ ( Blessed Ludovica Albertoni ) いつの間にか10人足らずの人が集まっていた。 |
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日曜の正午、、明るい光が左手窓から、、、(右手は壁のようだ) 前回訪れた時のイメージとは全く違う。 明るい、実に明るい。 埃まみれで赤黒かったと記憶しているのだが、、 きれいに洗浄されているようだ。 今回見たボルゲーゼの3体も白い肌が目立った。 初めて見た26年前の記憶、、これ自体が埃まみれになっている、、、(1978年) ボルゲーゼ美術館の 「時によって露わにされる真実像」 が私の記憶のまま、埃まみれで表面が茶色く変色したままだったが、それ以外は感動的に白い肌を見せていた。 |
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大理石なのに美しい、、、 不自然とも思える高く強調された衣の襞が大きく影響している。 福女アルベルトーニの顔の表情、手の表情だけではない、衣の襞が強烈に顔と手の緊張感を延長している。 この福女は、鑑賞者の真近に横たわっている。 同じ高さで横たわっている。 聖女テレサの場合と、この点が大きく違う。 鑑賞者に、個人的に近いのだ。 製作者の企みどおり明るい光の中で、白く横たわり しだいに茫然としてくる。 茫然自失の茫然だ。 こみあげてくる感激、、、自分を失ってなるものか! |
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アルベルトーニの顔にあわせて 顔を左に倒して福女の顔を見る、、、 その表情を感じてみる、、 その瞬間 深みにはまってしまった。 目頭が熱くなる。 今日までの印象とは明らかに違う、、もともっと深みにはまってしまった。 ベルニーニとは何者! 考えて、計算して、このようなものが創造できるのか !?! Mozart のように考えて計算し謀り、それ以上にあふれ出る悪魔的に計り知れない才気! 石を削るのに、計算なくしてできるのか、習作を繰り返し、考え抜いて、、そんなことで、、、、 素晴らしい、、表現する言葉なんて無意味なのだ、、 |
■ 聖女テレサの法悦( Ecstasy of St.Teresa ) サンタ・マリア・ヴィットリア教会( Church of Santa Maria della Vittoria ) |
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聖女テレサを見上げていると 以前は、天使の視線と聖女の顔に 気を取られていたのだが、、 放心してダラリと下がった足と手 これの効果に改めて感心。 |
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今回初日に見た時は、再会の安堵感で、注意深く観察とはいかなかったのだが、福女ルドヴィカ・アルベルトーニの感激の後、最終日に訪れた時は、比較の為、気が付く事があった。 それは、鑑賞者との距離と角度である。 身近に感じたアルベルトーニに比べ、離れている。 鑑賞者の視線からは相当高い位置にある。 (浮遊する雲の上の設定だから当然なのだが、、) 近くからだと見る角度は、見上げる位置になる。 ← 顔の表情が見て取れない。 遠く離れてみると、見上げる角度は緩やかだが、細部が見て取れない。 教会の真ん中辺りから、写真でイメージした印象を重ねながら見ていることになる。 |
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↓ コルナーロ礼拝堂の左右から舞台を観劇するが如く配置されたコムナーロ家の人々であるが、 一段と奥まって配置され、両側にでっぱった柱があるので、この人達は聖女テレサの法悦の瞬間が見えないはずだ。 石鍋真澄氏によれば、「 テレサ像だけではなしに、このコルナーロ礼拝堂全体の構成が、ベルニーニの最高傑作 」 とされているのだが、見る目を意識したベルニーニが満足して設計したものだろうか?疑問に思った。 コルナーロ家が教会から得た権利は、この左翼の礼拝堂部分のみ。 ベルニーニにも制約は多かったはずだ。 もしや!と思い振り向いてみた。 やはり!である。 向かいの礼拝堂の構成が全く同じである。 |
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コルナーロ礼拝堂と対面する礼拝堂 |
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「この向かいもベルニーニが設計を受け持った 」 という記述を石鍋氏の書物から見出していない。 どちらが先に作られたのか? ベルニーニ以前に、彫刻以外の設計は決められていた。 その制約の中で、ベルニーニが企画をめぐらした、、、と思いたい。 聖女テレサのエクスタシーを、もっと真近で、手に届く距離で見てみたい。 その思いが、少し配置に不満を見出した。 ( この教会のガイドブックを、奥で売っていたかな、、もう1度行かねばならない理由が見つかった ) * と、この頁をいったんUPLOADして、次のティエポロの頁の作成の為、持ち帰ったガイドブックを整理していたら、ナント 「St.Mary of The Victory 」 なる小冊子が出てきた。 3.1ユーロ。 それも2冊も買っていたのだ。 それによると、opposite chapel 「 The Dream of St.Joseph 」 は、ベルニーニの作品に Inspire されたとある。 入れ物は完璧に模倣し、彫刻の方は、天使はそのままで、聖女を聖人に置き換えただけなのだが、、、なにかスッキリした気分になれない。 |
■ プルートとプロセルピナ、プロセルピナの略奪( The rape of Proserpina )、Galleria Borghese 手荷物持込禁止なので、もちろんカメラ撮影なんてトンでもない所。 (画像はガイドブックから) |
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白一色の良質の大理石。 先に見たダビデは、大理石に黒い不純物が混じり意外に思っていたので、この良質の大理石が心地良い。 部屋の入口からは、プルートの背面が見えるので、(前室のアポロの女性的な肉体に比して)プルートの太いたくましさが、印象的だ。 「単一視点を設定して制作されている」 と言われているが、位置を変えて見てみても、その魅力は尽きない。 |
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★ プロセルピナの顔の下、<涙>と、<少し大きく強調されたプルートのくい込んだ指>が、そして<3つの顔を持つ犬が見える>位置(↑右の写真の位置)に立つと、、ここでプロセルピナの顔と同じ角度になるように、鑑賞者も顔を傾けて見ると、、 プロセルピナの涙と共に、捕われた瞬間の叫び声が聞こえてきそうな微かに開かれた口元、、これが堪らなく良い。 じっとこの位置に佇んでいると、あまりの素晴らしさに、この位置にいる事の喜びで、私の顔に幸せの笑みが浮かんでくる。 ★ また、プルートとプロセルピナが見える正面(↑左の写真の位置)に立つと、 プロセルピナの左手がプルートの顔を押しのけているのが、そしてプルートの顔が大きく仰け反っているのが、、この悲しむべき瞬間を避けようとする意思が、この瞬間の精神が、強烈に印象付けられる。 こちらから見ても良いのだ。 プロセルピナの乳房の大きさも意識させられる。 ★ そして、正面から少し左手によってみると、プロセルピナの右手の表情が明確に見える。 右側から見ていた時、この右手の開いた指の表情に、何かチョットもっと違った表現があるのではないか、と思っていたのだが、左側から見ると、プロセルピナの顔の表情と共に、この右手の表情もリアルに見える。 ★ プルートの脚の部分、ここだけが茶色に変色したままである。 ここだけ洗浄していないのだ。 ボルゲーゼ入口の部屋にある「真実の像」の変色したままの状態なのは、何故だろう。 |
■ アポロとダフネ( Apollo and Daphne )、Galleria Borghese この素材の大理石も、黒い混じりがある。 ダビデ像よりはましではあるが、、、 |
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アポロの脚の女性のように細く軽快なのが目立ったのだが、後ろに跳ね上げた左脚の作り出す空間と、背後に軽く上げた右手の空間が、、この二つの作り出す空間に、軽やかな心地良さを感じる。 大空を翔るアポロの軽やかさを感じないではいられない。 ダフネの顔を真横から見ると、そうは感じないのだが、正面真下から見ると、、 実に切なく愛らしい。 丸く開けた口元のなんと魅力的なことか! 私の顔は、ここでも湧き溢れる笑みでいっぱいである。 (↓左の写真) 背後に回って見ると、ダフネの足は、もうすっかりと月桂樹になって大地にシッカリと根付いている。 表から見える動きの余韻とは時間差が感じられる。 |
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■ ダビデ( David )、Galleria Borghese 黒い混じりがある大理石素材が気になる、、、土台の部分には、ス が入っている。 直前に見たカノーバーのナポレオンの妹像の大理石が白一色で混じりッ気がない良質の石だったので目立ってしまった。 |
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写真で見るダビデ像の顔は、光や影が原因なのか、昇華されない(標準化されていない)個人的な顔に見えていたのだが、現場に立って見つめていると、影が感じられずに、強靭な意志の表情のみが鮮明で、大いに評価を上げた。 |
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■ 時によって露わにされる真実像 この像の汚れののままなのが気になる、、、 |
■ サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 前回訪れた時は、このキジ礼拝堂だけが工事中で見られなかった<ハバクと天使><ダニエル>の2作品を確認した。 ベルニーニ関連では、大好きな<トリトーネの噴水><ナボーナ広場>を、、ただ、今回は、サンタンドレア・アル・クイナーレ教会には立ち寄れなかったのが残念である。 |
■ 以前掲載し、毎日多数のアクセスがある <肉体を感じるベルニーニの彫刻> の画像も参考に、、
■ <2004年GWイタリア、パリ近郊都市21日間旅行 目次>へ