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≪ アンベール城 洗練された豪華さ ≫

Amber Palace
絵になる展望

インド旅行、彫刻を中心に(19)
2008/12/23〜2009/01/02








ジャイプルから北西へ10km強のアンベール城
山の尾根に長々と這う城壁と中腹の宮殿は、歴史絵巻の一部のような光景だ。





山頂に建つのが ジャイガール要塞 Jaigarh Fort、 右手がアンベール城(宮殿)である。



アンベール城は、1592年に、
ラージプート王国のマン・スィン1世が建造し、
中心のジャイ・マンデル殿は、ジャイ・シング王が 1539年建設。
サワイ・ジャイ・シング2世が、1727年に平地のジャイプルへ遷都するまでは、此処が都であった。

天文台のあるジャイプルの街でも感じさせられた事だが、
サワイ・ジャイ・シング2世は、相当に賢明な君主のようである。
アーグラと違い、宮殿に入っても親しみの度合いは増す。




麓から中腹の宮殿に登るには、、徒歩、象、車と3方法あり、其々道が違う。
私は象で登り、徒歩で下る。


↑ 象乗場   象道 ↓






↓ 象の背中から、、、 ↓       徒歩の場合は↓の池の横を通る。 ↓

宮殿内の一番下で広い中庭(中庭は4つある)

中庭と言っても広場である。

一番下の中庭で象を下りる。 左手が宮殿、上が要塞。



象に乗ると、途中でチップを要求され、到着時にも要求され、払わなければ下ろしてくれないそうである。
事前の情報どおり、、途中の要求は無視し、最後にのみ払う。








宮殿への最初の入口。
この時点で既に柔らかさ(人間味)を感じる。




↓ 2番目の中庭(広場) ↓



ガネーシャ門




ガネシャ門、、ここからが本来の宮殿の部分である。
アーグラ城で感じた事とは違い、、色彩が今も生きている。
鑑賞しようと心が開いてくる。





修復されているのか、、鑑賞に堪える。



3番目の中庭、、文字通りの生きた庭園である。




ガネーシャ門の上、、下が覗ける。  華やかさが残る装飾。




周辺の展望が、 絶景かな! となってくる。

北方向









デリー方向 (ジャイプルとは反対方向)、 麓の町も大きい。




尾根の上に、、延々と城壁が這っている。
ムガル帝国とは、共存関係にあったが警戒はおこたりない。
娘をムガルのハレムに差し出したりと従属的、、しかし
堅固な要塞で、、手強さを強調している。

平和を望み、戦争は絶対にしません、、と言って、
身構えもしない国は、完全従属国だ。









背後のジャイガール要塞




ジャイ・マンディル殿。   室内の装飾も濃厚である。




庭園に明るい室内、、、豪華で優美な宮廷生活が想像できる。
マハラジャのイメージがそのまま展開する。 
この先には、、ハレムが展開するのであ〜る。




一つ一つの図柄が、、単なる模様を越えて、その創造性に親しみを覚える。





一番奥の中庭(広場)の周囲は、、ハーレムである。
周囲の独立した一区切りが、、女性一人の区画である。






ハレムの一部屋の上の壁に描かれた絵、、落書きなのか、、正式な装飾なのか?




柱の絵は、、損傷がひどい。














ハレムから出口に向う道には、、ショップが数軒並んでいる。
いずれも、土産物と侮れない確りとした商品を並べているが、、
残念ながら時間がない、、、至極残念である。
ラージャスタン関連の写真集が多彩



↓ 手描きの大皿、、、買うべきであったが、、↓
後でどこかで買えるであろうとと思ったのが判断ミス。









思い出と、電気スタンドのシェードなど飾りに応用が聞きそうな傘



急ぎ、、デリーに向う、、、明日の早朝 4:00に帰国便が出る。
それまでに、、デリー観光をせねばならぬ、、、

       2010/11 ジャイガル要塞訪問記へ
       2010/11 2度目のアンベール城訪問記へ





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