写真豊富な、のぶなが山行記
■ コース=葛城山ロープウェイ登山口 → 天神ノ森 → 葛城山山頂 →
→ 水越峠 → 祈りの滝 → 一言主神社 → 九品寺 → 櫛羅バス停
近鉄御所駅 → 吉祥草寺 → 近鉄御所駅
02年10月14日 天候=晴れ、下界は霞む
■ 所要時間=ロープウェイ登山口発 9:10 → 櫛羅の滝9:20 → 行者の滝9:45 → 9合目10:35 →
→ 葛城天神社 → 大和葛城山 山頂11:10 → 国民宿舎発12:00 → 水越峠12:58 →
→ 祈りの滝1:20、1:30 → 水分神社1:50 → 名柄2:30 → 一言主神社 2:40 →
→ 九品寺3:18 → 櫛羅バス停3:40
登り計 1時間35分、山上遊歩1時間、下り計 3時間40分 葛城登山合計6時間15分
近鉄御所駅 3:51 → 吉祥草寺4:20 計 30分
本日分合計 6時間45分
≪標高差 649m≫ 愛宕山の標高差=824m、悪沢岳の標高差=2041mである。
主な標高≪大和葛城山959m≫≪ロープウェイ登山口310m≫≪水越峠515m≫
■ 先週の愛宕山・空也滝にて前鬼・後鬼を従えた役小角の銅像を見たのがキッカケで、
修験道の開祖と言われる役小角(えんのおづぬ、役行者)の本を読んでいたら、
急に、役小角の「産湯の井戸」のある吉祥草寺に行きたくなった。
■ 大峰山系をはじめ、あちこちで役小角の伝説に出くわすので、役小角のイメージを一度明確にしておこう、と
実像と伝説とを明確にしておけば、今後の山行の際に彼の足跡に遭遇する度に、体験が整理し易くなるはず。
役小角が幼少の頃、駆け巡った葛城山への登山は、御所の街探訪の目的がキッカケで実現した事になる。
■ JR西宮6:58発、JR御所着8:39 近鉄御所駅発のバスに駆け足で乗る。
■<役小角>、7世紀に葛城に住んでいた実在の呪術者らしいのだが、 ほとんどの伝説が、16世紀以後に作られているので、実在の人物とは無縁の、修験者として理想化されたものらしい。 役行者とは、300年経った「三法絵巻」(984年)で初めて出る呼称。 ■<吉祥草寺>(御所市茅原)、役小角の「産湯の井戸」がある。 祖師堂には、役小角の像が本尊として祀られている。 ■<一言主神社>、は葛木の山神である。 吉野の金峯山から葛木山(岩橋山)まで石橋を架ける工事を、鬼神達に命じたが、訳あって一言主神の働きが悪く、役小角が一言主神を縛り上げ谷底に投げ捨てた。 というトンでもない大ボラ話に出てくる神様である。 この時の作りかけの橋が、岩橋山に残っているのだから、ますますトンでもない。 |
ロープウェイ右から登山 |
いきなり山らしい道 |
<櫛羅の滝> |
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↑→ 僅か10分で櫛羅の滝 (くじらのたき) ← 滝から少し戻って 杉林の中を登る。 道は安全第一で、ガーデニング用の敷き石等で良く整備されている。 |
<行者の滝> → 山頂までは展望はない。 ファミリー登山 夫婦登山 アベック登山 単独登山 と多彩 |
1〜9合目の標識がある。 7合目付近の杉植林 |
岩場もなく、鎖もなく 全てが安全 |
途中に御所の街が展望できるポイントでもあれば良いのだが |
↓婿洗いの池、 9合目の上 登山道から20m程外れる |
↓葛城天神社 |
↓何も見えない展望台 |
↓売店、食堂、自販機 |
↓ 葛城山山頂広場、やたらと広い | ↓ 金剛山 上空は晴れだが、霞んでいる |
↓かろうじて御所の街 |
↓金剛山方面。 大阪方面はガス |
↓ 子供が走りまわる |
← 売店から南行きは極端に人が減る。 売店のソフトクリームがなめらかで美味、2本も食べてしまったが、、、売っているオバサンはもうひとつ愛嬌がない。 → 国民宿舎裏のコスモス畑 |
↓国民宿舎の南の快適ポイント、金剛山が正面に、 手前の広場に露出を合せば、金剛山と空が真っ白で区別出来なくなり 金剛山に露出を合せば、手前は真っ黒になる。 写真には適さない天候である。(貧乏人の言い訳、責任転嫁) 空は真っ青、山はクッキリ、緑ははっきり、、、人間の眼の自動コントラストは素晴らしい。 |
休憩するなら、山頂広場よりこちらの方が良い |
↓下がツツジ園、シーズンは九州九重山のように鮮やかだそうな ↑手前風景の色を出るように露出を合せると、背後の金剛山は完全に真っ白だ。 左の道が下山道の始まりである。 何故か気分が良い光景であった。 |
↓ツツジ園に下る |
↓水越峠へ唯一の登り |
↓御所の街 |
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↓ひたすら下るのだが、何故か走りたくなる程、気持ちが良い。 一部歩き難い段段ではあるが、、、 | |||
← 前方に金剛山が見え隠れする。 → 気持ち良く下った後、水平道が続き、その後に、チョッとつらい急降下が長々と続く。 |
長い急降下が終われば、石畳が続く、、もう直ぐだ。 Wストックを使えば、何ら問題のない段段なのだが、膝の鍛錬の為にストックは使わずに下った。 使う筋肉の配分に気をつけねばならぬ下りである。 |
↓石畳道からは見通しが良い |
↓ オウ! 峠の車が見える |
↓水越峠の登山口 |
↓大阪側の路上駐車 |
↓奈良側の路上駐車 |
↓旧街道から下った山を見上げる |
<祈りの滝> ←車が沢山駐車しているのが見える。 → 水越峠からのんびり歩いて20分で到着。 |
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着いてビックリした。 大変な賑わいである。 飲料に適した湧き水を汲みに自動車でやって来た人達だ。 大型タンク、ペットボトルが並べられている。 順番待ち1時間との事。 私は500ccペットボトルに先に入れてもらった。 滝壷では子供がカニを採っているは、露店は居るは、バケツに汲んで洗車しているは、、と、、不似合いな混雑である。 |
舗装された旧街道を下るのだが、大型ゴミの不法投棄場であった。 水越トンネルを通る新街道との合流点の少し手前、人家を見ながら左に少し上ると、こじんまりとした水分神社 |
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↓葛木水分(みくまり)神社 |
↓新旧街道合流点の少し手前に |
↓小奇麗に手いれされている |
→ 新街道に出て、左の地元道を通る。 紅葉も良いが、実りの黄金色も、懐かしく和ませてくれる。 暫くは街道から外れて、田園散歩 →→ 農家か林業かは判らないが、立派な旧家の建物。 |
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↓金剛山 |
↓ここから農道を通り街道へ |
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↓安楽寺、何の表札もない 街道から屋根だけ見えたので上ってみたら、何の飾りもなく、隣りに人家1軒。 |
名柄の交差点で缶飲料を飲み、北へ進む。 目指すは一言主神社 ↓ 豊かさの象徴黄金色の向うに葛城山 麓の屋根が一言主神社 |
一言主神社 ↓ ↑ 画面から空を外すと 黄金色が一段と映える(望遠で) |
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↓ 長い参道 |
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修験者に過ぎない役小角に、こき使われて、顔が醜すぎて昼間は人前に出られないと、隠れると 働きが悪いと、縛られ谷底に投げ込まれたという、情けない山神様、一言主神、、、、、、 こんなイメージとは無縁の神々しい立派な神社でありました。 仏教に属する修験道側からの身勝手な伝説が後世に流布して、 今じゃ、インターネットで検索すると、不名誉な解説が付いて回る。 神道側としては大きな迷惑であったろう! 参拝者も多く、地元に慕われている様子が感じられる。 |
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↑大銀杏に乳房の如き形状が、、、 「乳イチョウ」 と呼ばれる神木 祈るとお乳が良く出るそうな、、 実に単純な発想、連想である。 |
一言主神社からは街道に戻らず、裏道を真北に進む。 → 九品寺 役小角とは関係が無さそうだが、通り道なので寄ってみた。 清潔なお寺である。 |
櫛羅交差点まで歩き、山側にタイミング良くバスが見える。 バス停まで50m全速力で走る。 走る体力が充分に残っていた。 近鉄御所駅からは、いよいよ本日の本命目的、役小角の郷<吉祥草寺>へ行者街道を行く。 ■ 行者街道と言っても、商店街に垂れ幕、旗がたっているだけ、、、、 おづぬ餅、行者米、と便乗商法も活気が見られない。 町上げて、笛吹けど、ほとんど踊らぬ、、そんな雰囲気、、、、今日は閑人が1人訪ねて来ているが、、、、 |
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古き良き雰囲気を残している建物も見受けられる御所の街を、約30分歩いて<吉祥草寺> | 正式には≪茅原山吉祥草寺≫ 役ノ行者神変大菩薩御誕生(634年)の霊地。 34代天皇の創建当時は、東西4キロ、南北5キロの境内に本末寺49院を整え、、、670、1349年の火災で焼失、、現在は1396年再建のもの。 |
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↓左、観音堂。 真中、本堂。 右、祖師堂(役小角) |
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↓祖師堂、 自由に扉を開けて良い |
↓役行者の産湯の井戸 右の林の中にある。 |
↓ 役行者の腰掛石 腰掛けた証拠などドウデモイイのだ |
↓ 祖師堂内部 左、行者の母君 白専女の像。 真中、役小角像 |
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→ 祖師堂 真中に安置された 役小角自作の32才の像 (ホンマかいな?) |
境内には私1人だけ、 他に訪れる人なし。 山に登る人なら誰でも知っている名前<役小角>だけれど、それ以上には興味を持たれない、中途半端な有名人なんだ。 町興しの<行者街道>も賑やかなのは、1月14日のどんと祭りだけかも知れぬ。 ま、大いに汗をかいて、少しは知的探究心を満足させ、健康的な一日でありました。 |
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■葛城山といっても、、、 昔は葛木といって、金剛山を含む山系を意味し、 金剛山も、昔は葛木山と呼ばれ役小角によって金剛山寺が建立されてから金剛山になった。 和泉葛城山、大和葛城山、とあり、単に葛城山といってもどれを指すのかややこしいのだ。 |
役行者(エンのギョウジャ)探訪の山行の後は、大阪梅田でギョウジャ(餃子)と生ビールで締め括った。のぶながTOPへ 掲示板に参加して、感動の共有と増幅を! ≪我が登山歴へ≫
■ ≪私の山登り観≫
『高い山に登れば地球が見えてくる』 ≪何億年の地球の営みが見えてくる、そこに居る小さな人間が見えてくる。
ホンの一瞬に生きる小さな人間、さあ!どう生きようか?≫ 単独登山はスポーツではない、人生哲学的行動である。