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≪ テオティワカン、太陽のピラミッド・月のピラミッド ≫Teotihuacanメキシコ・テオティワカン・アステカ・マヤ遺跡&民芸探訪 (4) 11/04/18〜11/04/25 |
月の広場へ向う、、 ケツァルパパロトルの宮殿 月の広場から見る月のピラミッド。 ジャジャジャジャーンと壮大な光景が拡がる。 月の広場の周囲には、大きな階段で上る12の建物群が、、、この上には木造の神殿でも建っていたのであろう。 月のピラミッド、、近づくにしたがってその巨大さと、、大空に圧倒される。 月のピラミッドは、4辺150m、高さ47m(42m?) 建造は、西暦300年頃である。 (太陽のピラミッドは紀元後100年頃) 大きく4段に別れ、、最初の1段目まで上ることが出来る。 月の広場中心の舞踏台から南の死者の道を眺める。 左に太陽のピラミッドが見え、、壮観である。 一番下の基壇上まで上るのだが、、、階段の真ん中にロープが設置されているので、 これを頼りにしなければ、、、危険度は増大する。 つまづけば下までまっ逆さま転落である。
階段上はとても広いのである。 此処で儀式が大規模に行われたのが納得できる広さである。 漆喰には小石が埋められているので、、全て復元された広場である。 ピラミッドの斜面には、、、漆喰跡が見られないのだが、、、 元々は、、漆喰が全面に塗られ、赤く塗装されていたそうである。 |
南の死者の道、、太陽のピラミッドを展望する。 それぞれの建造物の基壇だけ、、同じ形、、とこの単調さが、、そして周囲の平坦な自然が、、壮大・爽快を印象付ける。 画像クリックで大画像 月の広場の広大さ、周囲の建造物の配置、、、一大宗教イベントの会場 この空間を必要とした宗教イベントは、、いったいどんなものなのであろうか、、、 儀式を統率する権力者の ”威光” が推量られる。 600m離れた太陽のピラミッド、、頂上の人間、、階段に列を成す人間の小ささよ、、、 太陽のピラミッド、、頂上の人達、、、直ぐに私もその一員になる。 ケツァルコアトル神殿まで続く死者の道 今回の旅行では、、日本人に遭遇するのは稀であった。 |
月のピラミッドを降りて、死者の道を太陽のピラミッドに向う。 左右には、、大きな神殿跡、、路上には沢山の土産物売りが、、 なかなか魅力のあるモノも見受けられるが、、、ハッタリの言い値、、マトモに相手には出来ない。 いよいよ太陽のピラミッドに近づいてきた。 |
太陽の広場、、、明らかに月の広場よりは小さい。 画像クリックで大画像 太陽のピラミッドは紀元後100年頃建造。 (月のピラミッドは西暦300年頃である。) 太陽のピラミッドは、、一辺225m、高さ66m(65m?) 頂上まで上れる階段数は、248段 Garmin GPS に拠ると、下2309m、頂上2367m 標高差58mであった。 右側から上り、左側に降りる。 ゆっくりゆっくりと登れば、、、年齢に関わらず登る事は出来た。 途中からの下界の展望 ↓ 木造の神殿が建っていたという頂上、、、中心に埋められていた?? ↓ 頂上下には、、洞窟まで発見されているそうである。 太陽のピラミッド頂上から 西を見る。 画像クリックで大画像 太陽のピラミッド頂上から 南を見る。 南の端にケツァルコアトル神殿 南の端のケツァルコアトル神殿
ケツァルコアトル神殿より北の位置する遺跡群 太陽のピラミッド頂上から 北を見る。 月のピラミッド 東にも駐車場が見える。 ↓ 月のピラミッド ↓ 段々の姿は、単調な四角錐の太陽のピラミッドよりは、重厚感がある。 下りは、、慎重に、、慎重に、、 石を漆喰で固めて、、その上を漆喰で覆い、着色する。 エジプトのように巨石を積み重ねたのではないので、、迫力には欠ける。 巨石を上にドンドン積上げていく技法よりは、、安易だと思えるのだが、、、 |
死者の道まで降りてきて、、一安心である。 月のピラミッド、、太陽のピラミッド と共に登頂できた事は嬉しい限りである。 標高2300mという空気の薄い高地なので、、心配をしていたのである。 テオティワカンともお別れである。 太陽のピラミッッド正面の駐車場につながる土産物屋街 メキシコ市に戻り、発掘品の展示されている国立人類博物館の見学である。 |
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