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≪  テオティワカン、太陽のピラミッド・月のピラミッド  ≫

Teotihuacan

メキシコ・テオティワカン・アステカ・マヤ遺跡&民芸探訪 (4)
11/04/18〜11/04/25


  

テオティワカン遺跡は、メキシコシティの北東50km程に位置する。
紀元前から繁栄し、紀元後350〜650年頃に最も栄え、8世紀頃には滅亡していたそうであるが、
資料によって年代がマチマチである。
テオティワカンの滅亡の後は、メキシコ高原に、トゥーラや、そしてアステカが国家として繁栄した。
そして、16世紀から始まった、スペインのコルテスの侵略で滅亡してしまった。

現在発掘されているテオティワカン遺跡は広大かつ壮大である。 南北約2km以上もある。


遺跡に入る駐車場は、1,2,3と南北に並んでいる。
1=ケツァルコアトルの正面 
2=太陽のピラミッド正面   
3=月のピラミッドへの入場路

それぞれ駐車場と、小さな土産物屋街があった。


Bの入口から月のピラミッド周辺を見学し
太陽のピラミッド登頂後、Aの駐車場に出た。

↑ Bの入口 ↑
↓ ジャガーの宮殿 ↓

遺跡の殆んどの構造は、、大きめの石を漆喰で固めているのだが、
漆喰部分に小石をはめ込んでいるのが、、復元した証だそうである。


台形状の基壇に矩形の段を積み重ねていく形が基本である。
(タルー・タブレロ様式)


ジャガーの宮殿のジャガーの壁画が保存されている部屋、、石と漆喰の組合せは変わらない。
鳥の羽の頭飾りのあるジャガーが巻貝を吹いている姿



↓ 地下室へ ↓

↓ 地下室の中に基壇のある部屋が、、 ↓

基壇の周囲には極彩色の鳥の壁画が描かれている。




地下室を出て、、入ってきた入場口方向を振り返る。
これもジャガーの宮殿の一部なのだろう。




月の広場へ向う、、

ケツァルパパロトルの宮殿




月の広場から見る月のピラミッド。  ジャジャジャジャーンと壮大な光景が拡がる。

月の広場の周囲には、大きな階段で上る12の建物群が、、、この上には木造の神殿でも建っていたのであろう。



月のピラミッド、、近づくにしたがってその巨大さと、、大空に圧倒される。



月のピラミッドは、4辺150m、高さ47m(42m?)
建造は、西暦300年頃である。 (太陽のピラミッドは紀元後100年頃)

大きく4段に別れ、、最初の1段目まで上ることが出来る。



月の広場中心の舞踏台から南の死者の道を眺める。  左に太陽のピラミッドが見え、、壮観である。




一番下の基壇上まで上るのだが、、、階段の真ん中にロープが設置されているので、
これを頼りにしなければ、、、危険度は増大する。 つまづけば下までまっ逆さま転落である。


Garmin GPS によると
階段下 2315m
階段上 2333m
標高差は、18mである。
ピラミッドの丁度1/3である。



階段上はとても広いのである。  此処で儀式が大規模に行われたのが納得できる広さである。




漆喰には小石が埋められているので、、全て復元された広場である。
ピラミッドの斜面には、、、漆喰跡が見られないのだが、、、
元々は、、漆喰が全面に塗られ、赤く塗装されていたそうである。







南の死者の道、、太陽のピラミッドを展望する。
それぞれの建造物の基壇だけ、、同じ形、、とこの単調さが、、そして周囲の平坦な自然が、、壮大・爽快を印象付ける。


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月の広場の広大さ、周囲の建造物の配置、、、一大宗教イベントの会場
この空間を必要とした宗教イベントは、、いったいどんなものなのであろうか、、、
儀式を統率する権力者の ”威光” が推量られる。





600m離れた太陽のピラミッド、、頂上の人間、、階段に列を成す人間の小ささよ、、、




太陽のピラミッド、、頂上の人達、、、直ぐに私もその一員になる。





ケツァルコアトル神殿まで続く死者の道




今回の旅行では、、日本人に遭遇するのは稀であった。










月のピラミッドを降りて、死者の道を太陽のピラミッドに向う。




左右には、、大きな神殿跡、、路上には沢山の土産物売りが、、




なかなか魅力のあるモノも見受けられるが、、、ハッタリの言い値、、マトモに相手には出来ない。



いよいよ太陽のピラミッドに近づいてきた。










太陽の広場、、、明らかに月の広場よりは小さい。

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太陽のピラミッドは紀元後100年頃建造。  (月のピラミッドは西暦300年頃である。)


太陽のピラミッドは、、一辺225m、高さ66m(65m?)
頂上まで上れる階段数は、248段


Garmin GPS に拠ると、下2309m、頂上2367m 標高差58mであった。







右側から上り、左側に降りる。



ゆっくりゆっくりと登れば、、、年齢に関わらず登る事は出来た。



途中からの下界の展望




↓  木造の神殿が建っていたという頂上、、、中心に埋められていた??  ↓
ピラミッドは古い神殿の上に多い被せるように造られている。
頂上下には、、洞窟まで発見されているそうである。




太陽のピラミッド頂上から 西を見る。

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太陽のピラミッド頂上から 南を見る。   南の端にケツァルコアトル神殿




南の端のケツァルコアトル神殿





南の端のケツァルコアトル神殿には
行く事はできなかった。

ここには、、
ケツァルコアトル(羽毛の蛇) と
トラロック(雨の神) の彫刻が
交互に造りこまれている。
(ロボットのようなのがトラロック)

テオティワカンでは、ケツァルコアトル と
トラロック とが並立しているが、
以降の時代には、ケツァルコアトルが主流になる。

ケツァルコアトル=ケツァル(鳥)+コアトル(蛇)



ケツァルコアトル神殿より北の位置する遺跡群




太陽のピラミッド頂上から 北を見る。   月のピラミッド   東にも駐車場が見える。




↓ 月のピラミッド ↓    段々の姿は、単調な四角錐の太陽のピラミッドよりは、重厚感がある。




下りは、、慎重に、、慎重に、、








石を漆喰で固めて、、その上を漆喰で覆い、着色する。
エジプトのように巨石を積み重ねたのではないので、、迫力には欠ける。
巨石を上にドンドン積上げていく技法よりは、、安易だと思えるのだが、、、






死者の道まで降りてきて、、一安心である。
月のピラミッド、、太陽のピラミッド と共に登頂できた事は嬉しい限りである。
標高2300mという空気の薄い高地なので、、心配をしていたのである。






テオティワカンともお別れである。




太陽のピラミッッド正面の駐車場につながる土産物屋街







メキシコ市に戻り、発掘品の展示されている国立人類博物館の見学である。



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