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≪  バガン寺院群 個別詳細写真 (1) ≫

アーナンダ寺院
ダマヤンヂー寺院
タビィニュ寺院
マヌーハ寺院

ミャンマー仏教遺跡探訪(2)
2010-06-03〜2010-06-07







■ ■  アーナンダ寺院  ■ ■

Ananda Temple, 1091年 チャンスィッター王が建立


↓  高さ50m、63m四方の正方形  ↓

アーナンダ = 釈迦の一番弟子の名前


↑  華麗で均整のとれた美しい寺院である。  ↑



東西南北に4つの入口と参道があり、内部には回廊が2重にある。
内側の回廊は、王族と宮廷人用で、外側は庶民用。


4つの参道入口の奥には、それぞれ高さ9.5mの仏像が安置されている。






塔は金箔、、、




4つある参道の内、北側からお参りする。  たぶん北側のはずであり、左に東→南→西と周る。
↓ 参道入口    → 長い参道内の土産物屋 →

建物の内部が参道となっている。

境内は広い

やっと本堂の入口に辿り付く
↓ 本堂入口左右の彫像 →
目の輪郭がクッキリと描かれて魅力的である。 →



★ 北の本尊


↓ 本堂を周る回廊は、2本、、、内が王族用、外が庶民用 ↓



回廊の壁には、多くの仏像が祀られ、明かり採りの窓もある。


北と南の仏像は創建時11世紀のもの
東西の仏像は、焼失し、14〜15世紀の制作
時代に拠る違いがある。


材質は1本の松の木だそうである。
衣を開いている、、、

庶民が見る遠くからだと優しく見えるが、
王族が見る近くに拠ると厳しい表情に見えるそうだ。


手の合わせ方が、日本人にとっては珍しい。



、、、、

左方向に周る。
内部の廊下は、、縦横に入り組んでいる。  壁には仏像が祀られている。




★ 東の本尊





両手は下に、、、






★ 南の本尊





手を合わせている、、、




魅力的な姿勢の、守門神






★ 西の本尊





両手は合わせていない、、指の長さが均等に近い、、




表情は、、近くでも遠くでも変化が無いように思える。








一回りして、境内から 黄金の塔を見上げる。
幾層にも積上げて塔に至り、参道が造形に変化を付ける。

端正であり、華麗、、、11世紀のアジアの感性、、
素晴しい、、、






↓  塔の先端、、、 ↓

有刺鉄線の絡んだような障害物は、、
盗難避け ?  ?





↓ 参道の建物の内部の絵画 ↓
地獄への恐怖を描く ?






土産物屋、、、名物の漆器
木製、竹製、馬の毛製、、そして安物は紙製である。









アーナンダ寺院北参道の右手に、僧院がある。
こじんまりしたアーナンダ・オーチャウン


内部は、王や仏陀の生涯に関した絵が描かれている。









■ ■  ダマヤンヂー寺院  ■ ■

Dhammayangyi Temple 1167年以降着手・未完成

ナラトゥ王は、父王と兄を殺害し、5代王となる。
また、妻としたインド王族の娘をも処刑した。

弔いの為、建設にかかったが、ナラトゥ王自身が暗殺されて、未完のまま。
本尊は既に納められていたので、現存している。



↓   シュエサンドー・パヤーから撮影   ↓




未完成なので、、土産物を売る人も少ない。




先端は崩れているが、、、途中まで登れる。  装飾が無く殺風景である。




本尊は、座象である。




指は長くて均一である。




回廊を回る。





金箔ではない仏像













表情の違う仏像2体



規模は大きいが賑わい無く、寂しさが目立つ寺院であった。










■ ■  タビィニュ寺院  ■ ■

Thatbyinnyu Temple, 12世紀半ば、アラウンスィードゥー王の建立

バガンでは最も高い65mの高さがある。

タビィニュ= 全能者、仏陀


↓   シュエサンドー・パヤーから撮影   ↓








土産物屋は無く、、子供達が、日本語を操りながら物を売る。









内部は、白い漆喰?が目立ちシンプルに見える。



正面から右手に周る。
仏像は、、表情が若干違うだけで、、殆んど同じような金箔の坐像である。
← 元は、、壁画で覆われていたのかも知れない。








観光者にとっては、驚きの少ない寺院である。


ーーーーーーーー

寺院の前には、日本人戦没者の慰霊碑があり、、
現地の僧侶達により管理されているらしい。











■ ■  マヌーハ寺院  ■ ■

Manuha Temple  1059年建立

タトォン国の王マヌーハは、バガンのアノーヤター王に攻められ捕虜になる。
捕われのマヌーハは、許しを得てこの寺院を建立したのだが、、

囚われの窮屈さを表す為に、、内部空間いっぱいに窮屈な大きさの仏像を安置した。

前に座像3体、裏側に涅槃仏1体がある。



正面入口は、物売りが居るがヒツコク無い。


観光用ではなく地元の礼拝対象、、、


石の床は、、素足にとっては、、灼熱地獄である。

外壁は荒れている。



捕虜となった敗戦国の王が造った為か、、華麗さは全く無い。

頭は天井いっぱいまである。


左右の余裕も無い。






前の空間もやっと通れる幅しかない。

2体目の仏像

これまた同じくぎりぎりの空間である。



3体目も同じく穴倉の如く窮屈な造り



一旦外に出て、、裏面に回る。




大きな涅槃仏も窮屈な造りである。


何の為に造ったのか!!

仏陀を礼拝する為に、寺院建立するはずなのだが、、、
ここまで、、己の心情を優先してしまうと、、
仏陀に対しての不敬にあたると思うのだが、、
その程度の、、信仰心なのであろうか !!!

全く気持ちの良くない寺院である。






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