音楽会はほとんど海外で

 昔、将に昔だ。演奏会にはよく出かけていた。 大阪フェスティバルホールだ。座席が決まっていた。真中のbox席の2列後ろの通路側だ。1列目は”ただ見の評論家達”の指定席だ(非売品)。 演奏の終わった若きアンネローゼ・シュミットがbox席の目の前に座った時、あの美しく長い金髪が1m先にあるのだ。20歳代の私にとっての刺激は強かった。様々な演奏を定位置で聴く事は、比較検討するには必要なことである。特に評論家連中と同じ位置で聴くことは、彼らの批評を批評するにも判断の誤りは少ないだろう。ゴマスリ批評などすぐわかる。
 当時、ウィーンフィル等めぼしいものは<大阪コンサート協会>なるものが事前予約受け付け。掛かり難い電話で座席指定が可能だったのだ。 ところが、ある時突然<キョードー>なるものにmanagement が代わり、「座席指定は出来ません」と無味乾燥な返事。仕方なく、一般発売時に PlayGuide に買いに行く。 座席番号を言って「この近辺」と告げると、「Aですか、Bですか」とくる。「希望の座席が、AかBかは私は知らない。座席表を見ないと判らない。」と答えると「Aの座席表とBの座席表とは違う、指定しないと出せない」といやな顔をされる。この時点からこちらも不機嫌になってくる。 音楽会の度にこんなやり取りが数回続いた。キップを買いに行くのが怖くなる。そしてついに行かなくなった。海外だと、色分けされた座席表を見ながら気持ちよく買える。座席指定して何が悪い。
 2000-6月、新国立劇場のトスカのチケットを<インターネットピア>で購入。(新幹線に乗って大阪からわざわざオペラだけを見に日帰りだ。) 等級指定だけで座席指定できない。(コンピュータを使っているのに空き座席表が出ないのだ、日本の文化はどうなっているのだ)  前の一番端が割り当てられた。残席わずかと表示されていると妥協するしかない。ところがだ、翌日試しにアクセスすると、真中の席が空いているではないか!!<早いものが良い席を!>という心遣いもない。無味乾燥な番号順だ。座席番号に<真中からの優先順位をつけるプログラム>なんて簡単だ! やはり日本では演奏会には行きたくないと再確認。

 大阪コンサートホールで、何度目かの<Solti & Chicago Symphony>でマーラーを聴いた時だ。演奏は例の如く圧倒的な迫力だ。演奏後割れんばかりの拍手なのだが、何度も舞台に出てくるショルティ氏、客席をにらみつけるだけ、一度も愛想笑いをしない。今までは全て会場はフェスティバルホールだった。ザルツブルグやロンドンでは、客席への笑顔が溢れていた。 RoyalFestivalHall で Royal Phil と London Phil との合同演奏会の時など客席に話かけていたではないか!
彼らにも気分があるのだ。好きな街、知人のいる街、気に入ったレストランのある街、そこでの演奏会なら笑顔ももれる。 「ヨシ!彼らの和む時に聴こう!できるだけ彼らが自分達の街だと思えるところで聴こう!」 東洋の知らない街では自然に湧き出てくる演奏会など稀なのかも知れない。 などと、海外旅行する必然性(言い訳、理由)を、自分に言い聞かせている自分に気付く。

思い出した。ネビル・マリナーが、全く無味乾燥な顔をしてN饗を指揮していた。相性が悪かったのかな!演奏する方も、聴く方も気持ちよくいたいものだ。