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≪ シーギリヤ・ロック 大展望 (シギリヤロック) ≫

Sri Lanka Sigiriya Rock
ダンブッラから大展望
シギリヤロックから大展望

2010-10-02 〜 2010-10-07
スリランカ、シーギリヤ・レディに逢いたくて (1)


  


シーギリヤロックを大展望  (左から2番目のギアナ高地のテーブルマウンテンのような山)


↓ ↑  20km弱 南西に位置するダンブッラから見た シーギリヤロック  ↓ ↑



↑ GOLDEN BUDDHA が シーギリヤロックを 遠望している。 ↑



↓ 望遠拡大画像  右がシーギリヤ・ロック ↓

左の山は、、シーギリヤロックに王宮を建設の際、元々在った僧坊を、移した山である。



↓ シーギリヤロックの超拡大画像 (近くからは見上げるだけで全貌は見えない) ↓

アウヤンテプイのように巨大ではないが、、、 下界とは隔絶された まさにテーブルマウンテンである。



■ シーギリヤ・ロック
カーシャパ(カッサパ) Kasyapa 在位477年〜495年 の建設
アヌラーダブラを統治していたダートゥセーナ王( 在位459〜477 )の長男である
カーシャパ王子は、母親は平民出身であり、
異母弟のモッガラーナ王子の母親は王族出身であった。

王位継承が弟になるのを恐れ、父王を監禁し王位継承を迫るが、、拒まれた為に父王を殺害する。
この時、異母弟はインドに逃れる。

父親殺害の罪悪感か、弟の反撃への恐怖からか、新王カーシャパは、、憑かれたように(神がかり)
難攻不落のシーギリヤ・ロックの宮殿の建造にのめり込み始めた、
7年後に、アヌラーダブラからシーギリヤの新宮殿に移り住んだ。
シーギリヤ・ロックは、、古代から仏教の修験場であった為に、隣の北の山に立派な修験場を造り、僧呂達を移す。

移住から11年後、インドから復讐に戻った弟モッガラーナの戦いに敗れ、自ら命を絶った。
モッガラーナは首都をアヌラーダブラに戻した為に、、シーギリヤロックは忘れ去られてしまった。
華やかな宮殿時代は、僅か11年の間だけだったのである。
この短さが、、この巨大で特異な自然と宮殿廃墟、、
そして華麗な宮殿社会を想像させるシーギリヤ・レディの鮮やかさを 際立った存在にしている。

イギリス統治時代の1875年に、、イギリス人によってシーギリヤ・レディが再発見されるまで、眠ったままであった。



↓ 空から見たシーギリヤロック、、宮殿跡  ↓   天空の城ラピュタである。

北側

南側



この切り立った岩山を、何処から どうして登るのであろうか?






シーギリヤ村から見たシーギリヤロックの南面     爽やかな大空の下、、歴史の哀れさを感じる。



★★ 『  ゆく河の流は絶えずして、しかも元の水に在らず。
  淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたる例なし。
世の中にある人と栖と、 またかくの如し。  』 ★★

鴨長明 ( 1153〜1216 ) さんは、水の流れで例えて名文を残したが、、

シギリヤロックの歴史の一時を知って、
太古から変わらぬ大自然を前にすると

人の人生の些細さを自覚させられる。
が、、、どうせ小さいなら、、、、
小さくても悔いの残らぬ日々を目指そう。
と、、少しは元気が蘇る。

どうせ凡人でも、少しはマシな凡人でありたいものである。









    朝日の当たるシギリヤロック
夕陽の当たるシギリヤロック  



宿泊したホテル Sigiriya Village のプールから、、、









↓ シギリヤには空港がある。   が宿泊した リソートホテル ↓


シーギリヤ・ロックは、やや東に傾いた ほぼ南北に長い形状
庭園の中央道が、、やや北によった西方向に向っている。
ホテルは南南東の方向。




西の庭園入口から入る。


↓  周囲を囲む堀は、、広く清潔である。     庭園中央を真直ぐ進む。  ↓

↑ 堀には、ワニが放たれていたらしい。



水の流れを取り入れた庭園の構成は壮大である。


早朝の訪問は、、シギリヤロックは逆光となってしまう。


西洋の庭園を思わせる整然とした佇まい。

風車を動力として、水を汲み上げ噴水もしつらえている。
ペルシャの庭園で用いられている方式であるらしい。



庭園の奥に近づくと、、太陽はシギリヤロックに隠れる。
下界と隔絶されたテーブルマウンテンである。
守りの城としては万全、、兵糧攻めにどれだけ耐えられるか?




望遠で見ると、、、ピンク色のミラーウォール と その上のシギリヤレディの覆われた洞窟が見える。








庭園から大岩の多い階段 (おそらく太古からのシギリヤロックの崩壊岩であろう)




緑に囲まれた大岩群には、、修行場、、微かな壁画
修行場とも説教壇とも見て取れる。




いよいよ大詰めのトンネルである。
自然を利用したとは言え、、効果的な導入部ではないか、、、
石の積み方、、階段の構成、、と美的感覚は非常に勝れている。
造られた 5世紀という時期を考えると、、驚異の才能である。




真下に近づいた。




導入部最後の階段である。




早速 ミラーウォールへの入口となり、、直ぐにシギリヤレディ洞窟への螺旋階段がある。

持参したGPS表示によると
堀の入口が、標高195m
シーギリヤロック取付のこの場所が、270m
ライオンテラスが、310m
頂上宮殿が、361m
頂上部の南の低い沐浴場が、340m







この時点でも西の展望は良い。




ミラーウォールに入って直ぐに、、シーギリヤレディ洞窟への螺旋階段

螺旋階段最上部から、シーギリヤレディ洞窟の覆いを見る。



シーギリヤ・レディの洞窟

シーギリヤ・レディの詳細は、独立ページを作成。

シーギリヤ・レディ全詳細へ



↓ この螺旋階段の高度感は恐ろしい。 ↓

登りと下りは別の螺旋階段である。 →
シーギリヤレディからの螺旋階段から
ミラーウォールへ
ミラー・ウォールは、、当時は磨かれて光っていた。
岩壁のシーギリヤレディを写した?は疑問が残る。


数拾m続く ミラー・ウォール の岩壁側には、、宝石・貴石が埋まっている。
ミラー・ウォールから手摺に代わり、、いよいよ
ライオンのテラスへの最後の登りとなる。



西の大展望





↑ 倉庫跡の向うに見える大岩は、敵に向って落下させる仕掛けがある。



ライオンのテラスから頂上宮殿部を見上げる。

↑  ライオンの足だけが現存しているが、、ライオン全体像の前足の間から登るようになっていた。  ↑
ライオン全体像は壮観な造形であったろう、、、
崩壊した頭の残骸が残っていても良さそうだが、、、

シンハラ語で、ライオン=シンハ、 喉=ギリヤ
合わせて シーギリヤ となり、この地の語源である。



ライオンのテラスで一息入れて頂上に挑戦である。

ライオンテラスが、310m
頂上宮殿が、361m
標高差は、、50mである。

↓  恐ろしげな階段である。  ↓




上から見下ろした ライオンのテラス全体風景










獅子の脚の間から、、いよいよ頂上部へ


着衣の対照的な現代のシーギリヤレディに壁画の艶やかな姿を重ねながら
華麗なる往時をラビリンス、、、、



いと 恐ろしげな 階段である。




絶景ではあるが、、、楽しむ余裕は全く無い心情である。

↑ 庭園中央道 と エレファント・ロック ↑



往時に使ったと思われる岩壁の削った溝跡、、、 とにかく油断のならない階段である。




↓ 恐る恐る登った頂上部は広大な基礎部分だけの宮殿跡 ↓



ここで、、華麗なシーギリヤ・レディが、、しなやかに、、艶やかに、、住っていたのである。







南の大展望




南の大展望


多くの貯水池が点在している。


5世紀において、、壮大でバランスのとれた美的感覚が見て取れる庭園に
艶やかで魅力溢れるシーギリヤレディの美女群像、、
何にもまして、、この場所を選んだ才覚を思えば、、
カーシャパ(カッサパ) Kasyapa なる人物は
ただ単に、我欲の強い愚か者ではない。
稀に見る人物ではなかろうか、、、
ルートヴィヒ2世は、狂気の馬鹿王だが、
未知のカーシャパ王には興味が湧く。



↓  未来を見つめるカーシャパ王の姿が重なって見える。  ↓




携帯に忙しい僧侶、、、、独りで遺跡見学であった。





北〜東の展望




北の展望、、、この山に僧呂を移したそうである。




南、、、、南東方向に宿泊したホテルが見える。

沐浴池

 ホテルのプール







沐浴池、、、僧侶 (カーシャパ王) は孤独に移動する。  シーギリヤ・レディは出番を待つ。



下界と隔絶された空中宮殿で、、、広大な世界を遠望しながら、、
艶やかなシーギリヤ・レディ達と、、毎夜の酒池肉林
and or
父親殺しの復讐を恐れて、戦々恐々
マクベスの世界か ?






沐浴池




僧侶 (カーシャパ王) は さ迷い歩く。   中央の白い部分が王の観覧席




カーシャパ王の観覧席








頂上の宮殿跡を一回りして、、下りる方が危険な階段を下る。


↓  階段下で、、、  ↓

鉄板を持っていたので、、階段の修理か? と指差しで聴いてみた後で
この笑顔、、、







下りて 見上げてみても あなオソロシヤ、、、








ライオンのテラスから下りは、、食料倉庫跡から下に下りる。




ミラーウォール、、シーギリヤレディ窟を見上げる。




帰りは、、中央ではなく、やや南よりを駐車場へ下る。




ここにも壁画のある修験場



微かに残る壁画の修復




← コブラの岩 と 下の壁画跡 ↓



趣のある窟、、、王の謁見場



南の出入口付近には土産物屋街、、、
良い木彫りがあれば購入予定で、、大きなスーツケース持参したが、
マトモに精巧に彫った物は皆無であり、、手ぶらで帰る。


西(南西)の堀から数分の所にある博物館、、、
ブックショップがあるとの情報で期待していたのだが
閉店のまま、、、

シーギリヤレディーのレプリカが設置されていた、、、



自然の超絶景 & 歴史の奇景
素晴しい一時を体験した。

出国前は、、10日間雨の天気予報であったが、、
幸運にも、、、青空の見えたシーギリヤ・ロックの探索であり
ラッキーに感謝する事しきりである。





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