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≪ ミヒンタレー、南伝仏教はここから始まった。 ≫Sri Lanka MihintaleInvitation Rock Ambasthale Dagoba Maha seya Dagoba Kanthaka Cetiya Sinha Pokuna 2010-10-02 〜 2010-10-07 スリランカ、シーギリヤ・レディに逢いたくて(3) |
↑ マヒンダ瞑想の岩、インヴィテーション・ロック Invitation Rock マヒンダの座 ↑ インドのアショカ王の王子である老マヒンダが、スリランカの王に会う為に待っていた岩である。 ミヒンタレーの地名は、マヒンダ Mahinda に由来する。 ★★ 仏教の流れ 概略・断片 ★★
東南アジアに現在根付いている南伝仏教の流れは、以上のように解釈している。 南伝仏教は、スリランカのミヒンタレーから始まったのである。
↓ 仏教伝来当時の王都は、アヌラーダムラ、 ↓ 紀元前1世紀に、王はタミル軍に追われ、ダンブッラに逃れる。 シーギリヤは、5世紀の11年間のみ。 11世紀、南インド勢に追われて、王都をポロンナルワに移す。 ミヒンタレー主要地区の衛星写真
アムバスタレー大塔、マハー・サーヤ大塔への長い階段 この階段を登り詰めると、脱帽、履物禁止の超聖地となる。 アムバスタレー大塔とマヒンダの瞑想岩 マヒンダの瞑想岩への上り下りは要注意である。 靴下は許容されていたのだが、、、下りの靴下は危険である。 マハー・サーヤ大塔から見たマヒンダの瞑想岩、、、超絶景である。 マヒンダの瞑想岩から北〜東の方向 マヒンダの瞑想岩から東〜南の方向 マヒンダの瞑想岩から南〜西の方向 右が マハー・サーヤ大塔 ↑ マヒンダの瞑想岩から西〜北の方向 中央の遠方が、アヌラーダプラ |
マハー・サーヤ大塔への長い階段 地元の子供が元気に遊んでいた。 マハー・サーヤ大塔
マハー・サーヤ大塔、 釈迦の髪が祀られている。
大塔の西側のマヒンダの墓 マハー・サーヤ大塔から西方向 ↓ 15km離れたアヌラーダプラの ルワンウェリ・サーヤ大塔、ジェータワナ・ラーマヤが見える。 ↓ 光学30倍望遠で撮影 カンタカ・チェーティヤ Kanthaka Cetiya 南の展望 北東の展望 中央の白い頭が ↓ アムバスタレー大塔、 マヒンダの瞑想岩 ↓ 右の岩で瞑想していたマヒンダが、下りてきて王と在った2000年以上前の歴史的光景を思い浮かべる。 ここから南伝仏教は始まり、、現代の東南アジアの生活につながっているのである。 |
アムバスタレー大塔への階段を、、地元の参拝者達は、、両手にバケツを持って登って来る。
階段を下りて、、会議場跡周辺では、、、砂や石が、、、 寺院の補修用の資材である。 地元の人達は、、参拝のついでに持って上がっていたのである。 日本なら寄付金を集めて業者がするのであろうが、 ここでは、、参拝者の自らの人力で喜捨なのである。 お金の額ではなく、信心がそのまま現れている。 会議場跡、、etc シナハ・ポクナ Sinha Pokuna ライオン像の沐浴場跡 シナハ・ポクナの彫刻 東南アジアでは、、もう お馴染み である。 可愛いものである。 |
カンタカ・チェーティヤ Kanthaka Cetiya 駐車場がこの下にあるので、、ここへは、最初に登ったのである。 その後、シナハ・ポクナ、会議場跡、アムバスタレー大塔 etc と移動した。
階段を登れば、、カンタカ・チェーティヤ 紀元前2世紀頃には修理したと言う記録、、それ以前のスリランカ最古の建造物 外周130m、現在の高さ12m (30mの高さがあったと言われる) 5世紀に訪れた法顕の記録によれば、、僧呂2000人が暮らしていた。 マハー・サーヤ大塔から見た カンタカ・チェーティヤ 煉瓦積みではあるが、、石の彫刻が豊富である。 カンタカ・チェーティヤ と遠くの マハー・サーヤ大塔 当日は、宿泊地のシーギリヤから、アヌラーダプラ を訪れ、、ミヒンタレーに移動した。 ミヒンタレー見学後は、シーギリヤに帰る。 スリランカの交差点の真ん中には、大抵 時計台がある。 ↓ ミヒンタレーからシーギリヤへの帰路、、右に行くとアヌラーダプラとなる三叉路 ↓ バス便は多い、、、行き先を見ると、、コロンボ、キャンディと長距離である。 行き先の確認できないのは、、近郊廻りかもしれない。 周囲は殆んど、、田園、、植林、、である。 軍隊には、、空軍もあり、、当然ながら、自国を自ら守っている。 |
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