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≪ ポロンナルワ、10〜12世紀の大仏教遺跡 ≫Sri Lanka Polonnaruwa2010-10-02 〜 2010-10-07 スリランカ、シーギリヤ・レディに逢いたくて (6) |
シーギリヤのホテルからポロンナルワの間、、、 ↓ ミネリヤ貯水池 ↓ この辺りは、、自然保護区で、、野生の象も複数見つけた。 ポロンナルワの遺跡群には、、外国の観光客よりも、、現地の観光客が圧倒的に多かった。 現地の観光客といっても、、、私には、、インド人観光客との区別がつかないのだが、、、 普段着のように思えるのだが、、、ビデオカメラを撮っているのだから、、観光客だと思うのだが、、、 ポロンナルワの遺跡群は、南北に10km以上展開されている。 先ずは、パラークラマ貯水池の東に位置する中央部から見学し、北上する。 |
■ 宮殿跡 ■ パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡 幅13m × 奥行き 31m × 地上7階建て 壁に空いている穴が、、床柱を通す為のモノ 当時は、7階建てで 1000室もあったそうである。 白い部分が漆喰で当時のままの内装である。
7階建てを想像して見ると、、、煉瓦つくり、、、表面は白く塗られ白亜の殿堂、、、驚きである。 宮殿の東に位置する 沐浴池 井戸跡 宮殿の北東にある 閣議室、、、絵になる光景である。 元気なお母さん、、、頼もしい限りである。 基台の彫刻、、象 → ライオン → 悪魔? 閣議室の入場階段
閣議室、、、奥の中央に王の座、、各柱には彫刻が施されて、座る大臣の名が記されている。 座る大臣の名が記されているという石柱 |
宮殿周辺部の見学を終え、、1km程北の クワドラングル へ移動 ■ クワドラングル ( ダラダーマルワ ) 城壁で囲まれ小高くなった四角い敷地に11の建物が建っている。 当時のポロンナルワの仏教の中心的地区だそうな。 ラトナギリ・ワタダーゲ ( Vatadage = 仏塔 ) 中には、4体の仏像が、、東西南北を向いている。
仏歯寺跡、、サンスクリット碑文がある。 ニッサンカ・マーラ王時代の建立 アタダーゲ Atadage ( 八遺宝の家 ) チョーラ軍を破ったヴィジャヤ・バーフ1世の建立、ポロンナルワ最初の仏歯寺跡 釈迦像が魅力的である。 インド人か、、スリランカ人か?
手前 菩提樹跡 ( 涅槃堂 ? )、、、奥 トゥーパーラーマ トゥーパーラーマ トゥーパーラーマ内部 サトゥマハル・プラサーダ
パラークラマ・バーフ1世 ( 在位 1153〜1186年 ) 中央集権国家を再構築する為に ( 仏教勢力の強大化で統治が難しくなっていた。 ) アヌラーダプラ時代には、、3派に分かれていた宗派 マハー・ヴィハーラ ( 大寺 ) アバヤギリ・ヴィハーラ ジェータヴァナ・ヴィハーラ の各宗派を、国立サンガを設け マハー・ヴィハーラ ( 大寺 )に統一する。 他の二派は徹底的に解散させる。 仏教、国力の増強に尽くすが、、 ジャヤヴァルマン七世のアンコール王朝とも交流する。 (在位1181〜1220年 で、アンコール・トム、バイヨンを建立) ジャヤヴァルマン七世は、仏教徒 |
3km程北に移動する。
現地人は裸足、、、 ガル・ヴィハーラ の仏像群 パラークラマ・バーフ1世の造営
坐像は高さ 4.6m 立像の高さは 7m、涅槃像の長さは 14m ↑ 涅槃仏 ↑ ↓ 涅槃犬 ↓ 観光者、参拝者の往来を超越して、、涅槃中である。 キリ・ヴィハーラ、ランカーティラカに向う途中に、、土産物屋群が、、、 この青い娘さんには、、宮殿跡でも逢った。 |
キリ・ヴィハーラ ランカーティラカ ↓ インドのカジュラーホを思わせる豊満な彫刻 ↓ 全てが残存しておれば圧巻であったろうに、、、
残っている左足太ももの装飾から想像して、、華麗な彫刻であったろう。 52mの外壁、、残念ながら殆んど剥げ落ちている。
今回訪問した遺跡群の北にも、南にも、、重要な遺跡があるが、、 残念ながら訪問できなかった。 紀元前ではなく、、紀元後10世紀以後の遺跡なので、、彫刻が魅力的であるが 磨耗、破損、、、と 往時を偲ぶ事ができない。 インドの数々の彫刻や、、クメール遺跡の彫刻群の素晴しいさを知っているので、 この地の彫刻群の保存状態が良ければ、、、残念でならない。 |
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