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写真豊富な のぶながワールド なぜ 山に登るのか

≪ 何故山に登るのか ≫

登山をしない人の為に! 爽快写真集

私の場合、、極限にまで体力を酷使して
その対価として得るものは何なのか !




何故 山に登るか? と問われて
「 そこに山があるから 」 という飛躍的説明に感心するのは、既に山の喜びを知っている人達だろう。

危険だから、、身体的に苦しいから、、と言う理由で、登山をしない人には、効果のない説明だ。

「何故 山に登るのか ? 」
登りは苦しくとも、山に登り続けるには、、費やしたもの以上の対価があるからなのだが、、
その得る対価は、人の数だけ種類がありそうで、、、単純ではない。

私の場合、、、、、誰かのお役に立つ事を願いつつ、、、、、、




平凡な都会人であり、、気を使う事、考える事で、社会の役に立つ構成員と認められていた為に、
強靭な筋肉+心臓を鍛え上げられなかった者にとって、、高い山に登りきるのは日常的行為ではない。

身も心も筋肉マンが、僅かな汗で山々を闊歩するのに比べると、、
『 登山する 』 魅力の認識度も、種類も大きく相違する。

だが、違っていても、多くの人と山で出会い、爽快感を共有し、大いに話が盛り上がるのは皆同じ。

素晴しい光景は、、多くの人にも素晴しいはず。
素晴しい感動の記憶を、自らも蘇らせ、日常的に精神を活性化させる為に、過去の写真を整理。
感動を共有できる人達が増えれば、、、これまた楽しさが倍加する。
  





***   爽快さ、壮大さ   ***


登山の最大の魅力は、、壮大な展望である。

大自然の大きな大きな造形、、
人間の歴史は数千年に過ぎないが、、

この光景は、、数万年、数億年の自然の営みを経ている。



千枚岳、悪沢岳、荒川岳、
手前に蝙蝠岳〜塩見岳  (間ノ岳からの展望) 97-07-20
遙か遠くに、兎岳、大沢岳も見える。



この大空間に、、静かに佇み、、独り感じ入る。
存在感、その重みに圧倒される。

この瞬間の感銘を、、心に留める事が出来たなら、、
明確に、再現できるイメージで記憶できるなら、、

ふと、我に返って、自己を見つめる時、、
なんと些細な事か! なんと小さな事か!
1人の人間のコダワリなんて どうでもよい。
と、、思えれば幸せである。

小さなものより、少し大きなものが見えてくる。
皮相のものより本質的なものが見えてくる。



北岳  (間ノ岳からの展望)
奥に位置する甲斐駒ヶ岳 97-07-20
右手遠方は八ヶ岳


振り返る、、それぞれが一つの山
それぞれに登っている自分を思い出す。
それぞれに、キツイキツイ思いがある。

努力がなければ、、単に山が見える、というだけ
汗、汗、、気力、、と一つの山に、それぞれ想い出がある。
その分、、山の存在感は大きくなっていく。


壮大な光景も、、ただ爽快なだけではなくなっている。
爽快な展望だけではなく、、そこに登った時の爽快感までもが蘇る。
今見る爽快感に、アチラで味わった爽快感が重なり合う。




槍ヶ岳  (西穂高岳からの展望)
遠方は西鎌尾根に続く鷲羽岳〜水晶岳 2001-07-29


個性的な山々も、、一様な山容ではなく、
山々の組み合わせで印象が違ってくる。


大自然のイメージも観念的に、観光的に固定させると、、
感銘や刺激が希薄になる。

1度良かったからと、同じ場所にコダワルと、、
感性が陳腐化する、、、山に行っても成長しない。
過去の感銘に閉じこもり安住してしまう。


此処が良かったのだから、、他にももっと良い所があるのでは、、
別の山に、、感銘の得られそうな山に向かう事になる。

新しい感銘を求めていれば、、陳腐化しない。
ますます世界が広がっていく。
新しい発見があり、、それにより価値観がより鮮明になる。




槍ヶ岳  (北穂高岳からの展望)
足下には大キレットへの高度感 98-07-19


この位置からの槍ヶ岳の展望は、典型的な槍の一つ。
といっても、、こういう素晴しい瞬間にいつも出会えるわけではない。

天気の良い日の早朝ならば確率は高い。
折角登ってきても、雲、ガス、、、見えなければ感銘も少ないだろう。





大キレットと南岳の獅子鼻  (長谷川ピークからの展望) 2005-07-21

槍ヶ岳は見えないが、、雲が印象的
山の魅力に、、大空の存在は欠かせない。
青い空の大空間があってこそ大自然である。

上に遮るものの無い大空、、、そして、
右にも左にも、、、、障害物があってはならない。
大岩に、、小さなお花達、、

藪や、、樹林なんてトンでもない、、単なる自然に過ぎない。
広大な大空間が、、微塵の障害なく体感できてこそ大自然の実感だ。
それ無くして、、魂をゆるがすような感銘は湧いてこない。

小さな自然は、小さな安らぎをもたらすが、、
それは、高い山登山とは別の世界。


大自然を知る快感もあれば、
お花を知り、5m以内の自然を楽しむ事もある、、
木樹を知り、10m以内の自然を感じる事もある。




南岳の獅子鼻  (長谷川ピークへの登りからの展望) 2005-07-21


健康の為の運動だけではなく、、
自己の感性や価値観を洗練させる、、
健善なる自己管理、自制心の鍛錬の為が主目的ならば、
個人の内面の問題である。  当然にマスゲームではない。

単独行に勝るものは無い。
空気のように付き合える同伴者ならまだしも
疎遠な関係の団体登山では、内面をさらけ出す事は無いだろう。

自分を素直に大自然に置いてこそ、、大自然の意義を感じる。



大キレットにて  2005-07-21

僅かにすれ違う登山者、、、
心地良い挨拶、、、
ひたすら自分のペースで歩き、、
心が動けば佇み、感銘を心に収める。


人が多い山域は平地と同じ。  人を見て自分を見る時は少ない。
人混みの山頂は、観光地と変わらない。

高い山に登る事は、、<日常>を離れる事。
日常を連れてきては意味が無い。


様々な人との交流、親睦、、これはこれで楽しく意義がある。
これも多ければ多いほど良い。

ただ、、それだけではない山行もある。
高い山でしか得られない貴重な機会がある。
そのチャンスを自ら潰す事は無い。


大勢で賑やかに騒ぐのは大いに楽しい。
少人数で、シットリと友好を温めるのも、、これまた楽しい。
単独で、己を磨くのも、、これまた楽しく、充実感。


低山ハイクで体験できる事、、
高い山でしか出来ない事、、、
山には様々な味わいがある。









***   『 幻想、、、あるいは神秘、、    ***


日の出前に山小屋を出発する、、
人と同じように小屋で朝食を待っていては味わえない。

数少ない早出の登山者、、、
冷たい大気が、心地良い緊張感

次第に明るさが増し、、山々が紺色から橙色に、、、
地表は、、薄雲が幾重にも、、

静寂の中、、刻々と変化していく、、
地球の歴史と同じだけ繰返されたであろう毎日の営み、、



乗鞍岳、焼岳 (西穂高岳への登りから)  2001-07-29
-- 5時頃 --

身体と共に精神も緊張する。
雑念もなく魂が目覚める。



乗鞍岳、焼岳 (西穂高岳への登りから)  2001-07-29
-- 6時頃 -- 上の撮影から1時間後の撮影

飛騨側から這い上がった分厚い雲が、、信州側に下りだす。
右と左、、明確な違い。

気象の変化の大パノラマ、、真近に見ると感動する。




絵葉書的ではあるけれど、現場に遭遇すると、、
おおッ 素晴しい ! と、、
富士山 (北岳山荘からの展望)日の出前 97-07-20

何がどうなろうと、誰がどう言おうとも、、
富士山は日本一であり、、唯一の存在。
その価値は微動だにしない。
( 登ってみない限りは、、、、 )




ピーク単独の魅力の山と、、
隣の山との組み合わせで、より魅力の増す山もある。



笠ヶ岳〜抜戸岳 (西穂高岳への登りから)  2001-07-29
悩ましく幾重のヴェールを減らしつつ姿態を露わにする、、


笠ヶ岳は何処から見ても目立つ魅力のある山。

加えるに、、抜戸岳との稜線にも魅力がある。
稜線だけだとありふれてはいるが、、
両端に笠ヶ岳、、抜戸岳と加えると、その優しさに魅力が増す。
その稜線を歩いた爽快な想い出がそう思わせるのだろうか?
何処から見ても、、笠ヶ岳は貴婦人に見える。
( 厳しい笠新道を加味しても、、、、 )

笠ヶ岳〜抜戸岳 (西穂高岳から赤岩岳への途中から)  2001-07-29

右手遠方は、黒部五郎岳
厳しい笠新道が見えない笠ヶ岳〜抜戸岳、、美しい、、、、
この山は、、大自然を感じる前に、貴婦人と、、人間的に身近に感じてしまう。
新穂高温泉に近いという立地、周囲の山並みと隔離しているからか?




***    可憐さだけではない、、たくましきお花達    ***


可憐に咲いているお花だけれど、、
冬の厳しさを思うと、、たくましいのだ。


笠ヶ岳〜抜戸岳 (西穂高岳から赤岩岳への途中から)  2001-07-29
このように、、岩場に咲いているお花に魅力を感じる。

お花の造形だけではなく、、その生き方に魅力を感じる。
したたかな構造、、結果的にはたくましい、
しかし、さり気ない、、蔓延らない、、
それが良い。

と、、言いながら、、、、
個性的に目立つお花も魅力である。


薬師岳 (高天原から岩苔乗越への登り)  2005-08-05




徳沢〜横尾にて  2005-07-20

この単純に鮮やかで、ありふれ過ぎているにもかかわらず、
稀に群れる事もあるが、目立っているのが良い。







***    良い山頂とは、狭くなければならない    ***


周囲360度の大空間を体感するには、、
2次元に大空間であると共に
上空のみならず、、足下にも高度感ある空間が望ましい。
3次元の大空間、、、

近くに山並みは無く、、遙か遠方に高く連なる山並み、、
宇宙までも感じる事はないが、、、地球が見えてくる。



西穂高岳山頂 (赤岩岳への途中から)  2001-07-29


高い山の山頂は、、人間を謙虚にする。
極限の体力を消耗して弱くなった人間を謙虚にする。
自然の大きさを、、偉大に感じる。

登る人の体力に余裕を与える山は、、、
登山者の自我を強固にする。
山を征服したと自信を持たせてしまう。
俺は強いのだ、、偉いのだ、、と
山から影響を受ける事は少なくなる。


高い山は、人を謙虚にする。
登る度に、、世の中が公平に見えてくる。


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***    緊張感は快感なのである    ***

僅かな注意力があれば避けられる危険


作られた安全に慣れた都会人にとっては
チョットした緊張感が、日頃潜んでいる野生を目覚ませる。
克服できる危険の刺激は心地良い。


西穂高岳から赤岩岳へ  2001-07-29


鎖場の圧巻はここだろう、、、
危険危険という人もいる。
普通の注意力があれば、、なんら危険は無い。
人為的に避けられる危険である。


剣岳、、カニの縦這い、横這い  97-08-03
左上部分に下る人達、、右下部分に登る人達



普通の人の注意力があれば危険なんて無い。
だからこそ登山道なんである、、、が

これは全て、、晴天である事が前提条件。
ガスで見えない、、雨で崩れる、滑る、、、等
これも、事前の注意力で避けられる。
山行そのものを中止する決断で簡単に避けられる。


しかし、、やはり、、己の注意力だけでは避けられない場合もある。



間ノ岳山頂 (赤岩岳から)  2001-07-29

山そのものが崩壊過程


↓ 上の拡大画像 ↓
山頂に1人座っている。 ペンキ印が見える。



↓ 間ノ岳への道、、 ↓
画面に、行く人2人、、来る人2人


崩壊中の山は、、足下自体が不安定
浮石に注意しながら、足場を選ぶ、、それでも
少しのズルーッが、、大きな崩壊に連動する、
他人の落石が、、危険を及ぼす。


個人の注意力だけでは避けられない危険もありそうだ。
危険も刺激的ではあるが、、覚悟をしておく事も必要だ。
そんな場合もある、、、、、、


無事通過すれば、、良き想い出ではある。







***    登る事そのものが魅力    ***



白馬の大雪渓  96-07-27

遙か上方まで登山者の列、、
ただ ひたすらに登る。

考えられる情況ではない。
前も後ろも人の列、、流れに従うのみ。
思索、感慨、、それらの贅沢はない。
上部のお花畑も、、人人人で、風情というより公園、、

大雪渓を登りきったという達成感が収穫、、、





***    山小屋もそれぞれ    ***


都会の我が家に比して、、山小屋が快適であるはずがない。

ただ、過酷な条件下で何処まで登山者の為に努力しているのか、
小屋の誠意で評価する。

極限に近い状態の登山者を温かく迎える良い小屋もあれば、
自己中心的なヒドイ小屋もある。
それぞれが想い出の一つであり、、
他人を評価する貴重な事例となる。


北穂高小屋 (本谷より) 2005-07-20

北穂の山頂に張り付いているこの小屋を見ると

南岳から見た時、、
穂高が巨大な岩の塊と見え、、
その頂上に赤い点として小屋が見えた時
人間という動物のイジラシサ
可愛いというか、、執念の素晴しさというか、、

小屋の存在そのものが、、
大自然に挑戦する人間を意識させられる。




 淡々と尾根を歩く 

大汗かいて登り、、やっと登ったのに、また下る。
水平に登山道を付けてくれ〜ッ

笠ヶ岳〜抜戸岳の尾根歩きのように快適なのもあれば
槍ヶ岳〜大喰岳〜中岳〜南岳と UP DOWN の繰り返し
表銀座に裏銀座、、様々な尾根歩き

尾根を這う登山道、、それぞれに風情と思い出がある。


鷲羽岳からワリモ岳  2005-08-05


登山とは、、登りと下り、、、尾根歩き

そして、、

***    秘境の渓谷下り    ***

深遠・長大な渓谷を、延々と下る。
狭い登山道を、注意深く歩む、、
落ちれば急流、、命は無さそう、、、


黒部渓谷  2001-10-05

山頂からの大展望、大空間、、とは違う魅力。
大滝あり、大岩あり、急流あり


黒部の下の廊下は別格の存在


黒部下の廊下  2001-10-07

黒部ダム関連の作業用に、、延々と切り開かれた道
特異な景色とともに、その長さに敬意を払いたい。

その長さ故か、、登山者がまばらになる。
前後の登山者は、、はるかに離れている。

ほぼ平坦な道に、、高度感からくる緊張感、、
思考力、感受性は全開となる。







***    秘湯、、露天風呂    ***


阿曽原小屋の露天風呂



高天原温泉の露天風呂

ここの開放感は堪らない







夏山が終われば、、その次は、、当然


***    秘境の紅葉    ***

京都の神社仏閣の紅葉とは全く異質の紅葉の魅力

秘境、、当然にして全てが歴史ある自然、、
都会の人工的な紅葉とは全く違う。



ハシゴ谷乗越  2001-10-05
下に見える流れが剣沢二俣、、仙人新道

紅葉、、黄葉、、自然の美しさ

タイミングが難しい、、
紅葉の良き時期を目指す、、
これが中々難しい。

最高の時節に回り逢える事は幸せなんである。



池の平  2001-10-06

剣岳、八つ峰 (池の平から)  2001-10-06


紅葉も、、秘境も、、、人混みの中では、、
全く、、神社仏閣の観光紅葉と変わらない。

自然の移ろい、、を シッカリと感受するには
静寂に、平静に、、無垢になれるポイントを見つける必要がある。

この地も、、秘境ではなくなる時は近いだろう。

そうならない前に、、知っておこう、、” 秘境 ” が ” 秘境の状態 ” を!


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私にとって、、登山とは、
日常とは異次元の世界で感じる事。

自然の摂理に気が付く世界に至り、
日常を超越した自分になり、
日常の世界を見直す事。
そして、、明日の自分を計画する事。

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すべての山行が理想的ではないが、
そんな山行を目指しているのは確かである。


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■ ≪私の山登り観≫ ■

高い山に登れば地球が見えてくる

  何億年の地球の営みが見えてくる、そこに居る小さな人間が見えてくる。
ホンの一瞬に生きる小さな人間、
さあ! どう生きようか?


 単独登山はスポーツではない、人生哲学的行動である。






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