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≪ トルコ : ボスポラス海峡クルーズ ≫Bosporus Channel Cruiseヨーロッパ大陸とアジア大陸の間の海峡 イスタンブールの市街地展望、、 トプカピ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクの海からの展望という超観光 08/01/17〜08/02/02 遺跡と自然奇景、イスタンブールの賑わい、17日間の旅 (2) |
マルマラ海から黒海まで、ヨーロッパ大陸とアジア大陸を分ける海峡、、、、 全てを巡るには時間がないとすれば、、何処まで行くかが問題となる。 黒海までだと1日がかりとなる、、、エミノニュ桟橋で呼び込みするクルーズがあるそうだが、当てには出来ない。 宿泊したホテルが ボスポラス大橋の近く ベシクタシュ であり ベシクタシュ桟橋から多くの連絡船航路があったので、 ベシクタシュ 〜 アジア側の南の端 カドゥキョイ までと カドゥキョイ 〜 エミノニュ の航路を組合わせて、、 大方のイスタンブールの市街地展望、、トプカピ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクの海からの展望を堪能した。 翌日は、ベシクタシュ 〜 対岸のユスキュダル 〜 カラキョイ と乗船して念を押した。 |
一航路は1.3YTLなので、2.6YTL (1YTL=約100円) のクルーズである。 赤系航路が初日で2.6YTL ← これだけで十分である。 緑系航路が2日目で2.6YTL |
ベシクタシュから見たボスポラス大橋、、、、紫色にライトアップされている。 共に見る人との関係によっては、、相当にロマンチックで思い出深い状況になるであろうが、、、 残念ながら、この場は、オッサン独りなのであった〜 左がヨーロッパ、、右がアジアである。 手前に見える船は、対岸のユスキュダル行きの船と桟橋である。 カドゥキョイ行き桟橋は、、私の背中方向になる。 前夜に、桟橋と時刻表を確認の為に、夜歩きし撮影する。
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■ カドゥキョイ行き桟橋 から 対岸のアジア大陸を見る。 冬の朝7時過ぎである。 *** 横 2400 ピクセルの大画像につき、、右方向にスクロールしながら、詳細をゆっくりと、ご堪能下さい。 左端がボスポラス大橋、 右端がマルマラ海である。 かもめが忙しく飛び回り、海の風情満点である。 乗船して、船上から北方向(黒海方向)を見る。 左端の高い建物が宿泊したホテルCONRAD、 カドゥキョイ行き桟橋から数百m離れてユスキュダル桟橋が見え、、その背景にボスポラス大橋、、 右端には、、朝焼けを背景に、、海峡を通過する大型タンカー、、小さく浮かぶ釣り船が一艘、、、、世界的に重要な航路であるとともに、地元の生活の場でもあるワンカットである。 船内に乗客はまばらである。 仕事場から住まいに向う朝の便は少なくて当然だ。 逆行きはもう直ぐ朝の通勤ラッシュになるのだろう。 ヨーロッパ側の風景、、、街はまだ静かなのである、、、 左端がマルマラ海方向、、、旧市街、、、、、右手の海岸に建つ建物がドルマバフチェ宮殿 金角湾を臨む、、、、ガラタ橋は霞んで見え難いが、、、高いガラタ塔は目立つ存在である。 左手のモスクはスュレイマニエ・ジャーミィ 太陽の出る瞬間のカドゥキョイの街並 (右方向にスクロール) ↓ 城壁に囲まれた旧市街、、スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)、、、アヤソフィア、、トプカピ宮殿 と続く。 ↓ 小舟が目立つ。 *** 黎明期 *** この都市の黎明期は、、 AD330年、コンスタンティヌス大帝がローマの首都とした。 AD360年、アヤソフィア大聖堂完成。 AD395年、ローマ帝国が東西に分裂、、この街コンスタンチノープルが東ローマ帝国の首都となる。 20分の航海で、カドゥキョイの港に着く。 |
■ カドゥキョイの港 早朝のカドゥキョイの街を1時間ほど散策。 出勤風景が始まりかけた時間帯であった。 帰路は、別の船会社でエミノニュに向う。 朝の明るい日差しが頼もしい展望を見せてくれた。 |
☆ アヤソフィア = 東ローマ帝国:360年 キリスト教ギリシャ正教の大聖堂として完成。 1453年オスマン朝に陥落され、メフメット2世によりイスラム教モスクに変えられる。 ☆ トプカピ宮殿 = オスマン朝:1453年コンスタンチノープルを陥落させたメフメット2世が、1463年に着工。 代々増築を重ねる。 ☆ スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク) = オスマン朝:1616年建造、6本のミナーレ(尖塔)を持つ ■ スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)、、、アヤソフィア、、トプカピ宮殿 (右方向にスクロール) ↓ 1348年、ジェノヴァ人がガラタ塔建設 1453年、オスマントルコ・メフメット2世がコンスタンチノープル征服。 1463年、ファーティフ・ジャァミィ着工、1470年完成。 1465年、トプカピ宮殿着工。 ↓ コンスタンチノープル、、イスタンブール、、、数々の攻防戦の歴史絵巻を繰り広げた位置であり、視角である。 ↓ スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)、、、アヤソフィア、、拡大画像 城壁が一部見える。 スルタンアフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)、、 6本のミナレット(尖塔、光塔) アヤソフィア、、 ガラタ塔 船は大きくまわり金角湾へ向う ヨーロッパ大陸の新市街、、ボスポラス大橋、、アジア大陸の住居区 クズ塔、、、、元々は城塞、、灯台、、今はレストランだそうである。 カラキョイ地区とガラタ塔、、ここには後で登ることになる。 金角湾に入り、、、ガラタ橋、、背後には、、ファーティフ・ジャーミィ、、ミナレットの途中デッキが2段 (スュレイマニエ・ジャーミィと間違いやすい) ☆ ファーティフ・ジャーミィ = オスマン朝:1463年、メフメット2世により着工 ( ファーティフ=征服者 )。 18世紀に地震で壊れ再建されたもの。 ☆ スュレイマニエ・ジャーミィ = オスマン朝:1557年完成 スュレイマニエ・ジャーミィ、、 ミナレットの途中デッキが3段、正面中段が歯車状の建物が特徴である。 ガラタ橋は、、上が道路で、トラム、車道、歩道となっており、下はレストラン街である。 |
■ 翌日は、ベシクタシュ 〜 対岸のユスキュダル 〜 カラキョイ と乗船して見た。 船上から見たヨーロッパ大陸。 フンドゥクル、カバタシュ、ドルマバフチェ宮殿の範囲の展望である。 ユスキュダルの街は、船着場周辺はバスのの発着だけで、 カドゥキョイのように店舗もなく、散策には向かないようだ。 周辺を少しウロウロしただけで直ぐに、カラキョイ行きの船に乗った。 左手のガラタ塔、、大型の客船が目立つ。 海岸沿いの建物は、、、左赤いのが、イスタンブール港湾局、海運局か?、、中央のベージュ色がミマール・スィナン大学か?、、右端はドルマバフチェ宮殿である。 (右にスクロール) スュレイマニエ・ジャーミィ とガラタ橋 船は、ここから右に旋回して、カラキョイ桟橋に着く。 カラキョイ桟橋とガラタ塔 ☆☆☆ イスタンブールの展望を目的としたクルーズは、、十分に目的を達成した。 遠く スルタン・アフメット大橋のルメリ・ヒサルや黒海まで行って、別荘地帯を見るのは、日程に余裕のある別の機会だ。 |
船の乗り方は簡単だ。 船着場にある売場で、ジェトンというコインを買う。 今回は、各航路全て、1.3.YTLであった ジェトンとおつりのコインを間違わないようにしよう。 ジェトンを、JETONと書かれた穴に入れる。 バーを押して通り抜ける。 時刻表は、、平日用と日曜祭日とは別であった。 船会社は複数ある。 それぞれが、様々な路線を運航していた。 ジェトンはまとめて買うより その都度買った方が良さそうだ。 行き先別に桟橋が違い、、 桟橋は大きく離れているが、 大きく航路が書かれているので判りやすい。 所要時間は ベシクタシュ 〜 カドゥキョイ 20分 カドゥキョイ 〜 エミノニュ 20分 ベシクタシュ 〜 ユスキュダル 7分 |
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