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≪ イスタンブール: ガラタ塔から大展望 ≫高い塔に登れば歴史が見える08/01/17〜08/02/02 遺跡と自然奇景、イスタンブールの賑わい、17日間の旅 (3) |
ガラタ塔は1348年にジェノヴァ人が建設 周辺は狭い道路で、電器屋街である。 エレベータで上り、階段で一回り上ると 喫茶レストラン、、そしてテラスへの出口がある。 |
高さ67m |
ガラタ塔の描かれた古い絵地図 この塔は、コンスタンチノープル、イスタンブールの歴史を見てきた事になる。 |
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「 あの街をください 」 マホメッド2世 『 コンスタンティノープルの陥落 』 塩野七生 著 ガラタの丘にそびえ立つ塔からは、眼下に横たわる金角湾の向うに、コンスタンティノープルの市街を一望のもとに見渡すことができる。 商船の群がる船着場が見え、そのすぐ向うには、数多くの塔で要所を押さえた、一重の城壁が連らなる。 城壁にあちこちに口を開けた門も、積荷を運んで忙しく出入する人々も、陽を全面に受ける正午近くであったりすると、、、、、 市街でも最も高い場所に、それも一段と高くあたりを睥睨しているのは、聖ソフィア大聖堂の円屋根である。 、、、、、、、、 私の海外旅行を刺激していたのは、、塩野七生女史のイタリヤ物である。 ヴェネツィアもの、ルネッサンスもの、、次から次へと読み漁り その知識故に現地で見るもの全てが、我が物のように親しく受け入れられた。 イタリア通いも10回を越えていると思う。 その読み漁った中の、、「 コンスタンティノープルの陥落 」 も勢い良く読んだ一つである。 コンスタンティノープルが印象付けられた最大の原因である。 その塔に、ガラタの塔に、、現実に立つ時が来たのである。 ■ 西暦1000年頃の推定人口 全世界:2億5000万人 (1) コルドバ(後期ウマイヤ朝) : 45万人 (2) 開封(宋) : 40万人 (3) コンスタンチノープル(ビザンツ帝国) : 29万人 (4) アンコール : 21万人 (5) 京都(平安朝) : 16万人 (6) カイロ(エジプト) (7) バクダット(イラク) (8) ニーシャプール(イラン) 現在のイスタンブールの人口は約883万人 この歴史的にも、現代も 巨大で重要な街の大展望である。 |
■ ■ 東〜南 ■ ■ 左手海峡の向うがアジア大陸、、右端がガラタ橋 ■ ■ 南 ■ ■ 金角湾の向うに旧市街 高い塔は左から、アヤソフィア、ブルーモスク、?、?、スュレイマニエ・ジャーミィ、ファーティフ・ジャーミィ ■ ■ 南〜西 ■ ■ スュレイマニエ・ジャーミィ、アタチュルク橋、ファーティフ・ジャーミィ ■ ■ 西〜北 ■ ■ 金角湾の奥が見える。 ■ ■ 北〜東 ■ ■ 真ん中辺りがボスポラス大橋、、アジア大陸、、金角湾の入口と一回りした事になる。 ■ ■ 東〜南 ■ ■ ボスポラス大橋、、アジア大陸、、金角湾、トプカピ宮殿、アヤソフィア 市街地の密度の高さ、、 路面電車、膨大な数のバス、、ミニバス、ドルムシュ、、 連絡船、、、そして、、人人、、そして人 船に乗り、トラムに乗り、バスに乗り、、歩いて見ても 違和感は全くない。 切符売場、車掌、、隣で待つ人、、 全てが、初めて訪れた私を特別扱いすることなく 受け入れていた、、、国際都市である。 |
塔のテラスは狭い |
テラスの高さ |
↑ 尖り屋根の内側 尖り屋根の下 ↓ |
喫茶レストランで注文を待つトルコ人、、地元の人ならこんな所にこないだろう、、 |
エスプレッソを飲む観光客 携帯で撮るトルコ人 喫茶からガラス越しにテラスを撮る。 |
エスプレッソの向うにエミノニュ桟橋が見える。 |
近辺は電器屋街である。 工事部品から電球、、と大阪の日本橋や東京の秋葉原の裏通りと同じ ここで、240Vの二股コンセントを買おうとした。 安ホテルに泊まると、、コンセントの無い時がある。 テレビか冷蔵庫のコンセントを充電用に使わねばならないので 240Vの二股コンセントが必要なのである。 現地のテレビを見ながら、アダプターも使うのだ。 所がである。 持参している日本の二股をイメージして絵を描いたのだが、、 違う商品ばかり出してくる。 結局、、相手が諦めて、、「もう無い」 とのしぐさ。 諦めて帰ろうと外に出たら、、 なんと、ダンボールに山積みしてあった。 店内に持ち込んで、、相手も納得。 5YTLであった。 私が描いたのは、、右の小さなもの 現地では左の巨大なものなのだから、、 相手が思いつかなかったのも頷ける。 |
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