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≪ 古都ブルサ : ウル・ジャーミィ、イェシル・ジャーミィ ≫オスマン朝トルコの最初の首都 Bursa人口119万人の古都 08/01/17〜08/02/02 遺跡と自然奇景、イスタンブールの賑わい、17日間の旅 (8) |
バスは、イスタンブールからボスポラス大橋を渡り、アジア側を40分程走り、 エスキヒサールのフェリー乗場から対岸のヤロワ近郊までフェリーで40分の船旅。 Eskihisar → Yalova 渡る海は、、イズミット湾とでも言うのだろうか、、陸路大回りするよりは速いのだろう。 対岸の上陸地ヤロワ地区は、工場地帯である。 化学工場の煙突から出る煙が目立つ。 トルコ国内の観光地は、DORAK社のツアーバスで巡る。 フェリーの後は、田園風景、高層住宅、港町、、とバスで1時間30分、、、 標高2543mのウル山の麓のブルサの町に入る。 右手の頂がウル山だろう。 (翌朝の朝に撮影) ブルサの町は、大きく賑やかである。 アタテュルク通りだろうか、、バスを待つ行列。 1時間20分後に同じ場所を通ったら、、、相変わらず長い行列である。 今日は土曜日である。 |
■ ウル・ジャーミィ Ulu Camii 1421年完成 ■ ブルサの中心地 賑やかなアタテュルク通り に位置する。 モスク内にある潔めの泉。 工事中で全ては見れなかった。 入った時は気が付かなかったが、、、 絨毯に座って周囲を眺めていると、、今まで知っているモスクとは違う。 壁面、、柱の四面、、アーチ部分とあらゆる所に アラビア文字模様が大きく飾られている。 イスラム教の聖典クルアーン (コーラン) の言葉であるとは理解できるが、 その形の洗練された魅力、、只ならぬ奥深さに、、 しばし、、忘我、、、、 日本の書道の世界は知ってはいるが、、遙かに魅力的な芸術性だ。 今までモスクと言えばエジプトのカイロで観光しただけである。 ( イスタンブールのモスクは、ブルサより後に訪れている。 ) ここで初めて、、この魅力的な精神世界に気が付かされた。 崇高で、洗練された精神の伝統、積み重ねの存在を思い知らされる。 帰国後調べてみると、、カリグラフィ Calligraphy と言うのだそうだが、、 ただ、、装飾文字と訳されるこの単語では物足りない。 ↓ この衝撃的な出会いは特別項で ↓ 衝撃のイスラミック・カリグラフィ Islamic Calligraphy |
■ イェシル・ジャーミィ 1424年建設 ■ 緑のモスクと言う意味 正面入口の繊細な彫刻 青のタイルが目立つ、、こじんまりとした落ち着いたモスクである。 偶像崇拝禁止のイスラム教では、、キリスト教寺院のような派手さはないが、 それを考慮に入れても、節度あるこのたたずまいは教養の深さの証拠だろう。 ここは、ウル・ジャーミィより先に訪れていたのだが、 イスラミック・カリグラフィも単に壁面の飾りの一部として配されているだけなので イスラム教徒でもなく、アラビア語も解せぬ人間にとっては、 全く気にも留めなかった。
■ イェシル・テュルベ ■ イェシル・ジャーミィの南側にあるが、、工事中であった。 |
ウル・ジャーミィ北のバザール 広範囲に広がり、タオル、靴等の専門街もある 超混雑の繁華街である。 金製品、両替屋、婚礼衣装、、と高級品が並んでいるアーケード通り ケバブ等の飲食店も並び、傘、リュック、スポーツ用品、、化粧品、、、と タオル地専門店が軒を並べている。 絹織物、タオルが地場産業である。 それぞれが、、動いている。 自分の目的があって動いている。 この街が観光客に安心感を与えるのは、、人々が自分の為に動いているからである。 目的なくタムロしている輩が見あたらないのである。 チャイを楽しむ人達、、、 トルコの街ち歩きで感じた事なのだが、 概ね、何処でも、派手さはないが充実した動きを見せる人達 我々から見ると、、シンプル過ぎると思うのだが チャイだけの一時でも、安定感がある。 確りと自分達の生活をしている、という感じである。 |
翌朝、、ホテル近くのサントラル・ガラジュのドルムシュ乗場 電車、、オスマン・ガーズィ駅 日曜日の朝7:45 オスマン・ガーズィ駅前の広場には、、同じような露店が3〜4店あり、丸いドーナツごまパン(スィミット)売りも数台。 |
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