写真豊富な、のぶながワールド 2003年ゴールデンウィーク旅行(2)
■ プラハの国民歌劇場でリゴレットを観た翌日、ブダペストでもリゴレットを観た。
これをきっかけに、ヴェルディ の リゴレット への思いの第2弾、ヴェルディの凄さ(2)作成。
■ <ヴェルディの凄さ>の後に、プラハ、ブダペストの劇場紹介
自宅でリゴレットを聴く時は、 レーザーディスクの シャイー指揮、ヴィクセル、グルベローヴァ、ウィーンフィル CDの シノーポリ指揮、ブルゾーン、グルベローヴァ、サンタ・チェチーリア国立音楽院管弦楽団 の いずれかである。 ヴェルディのオペラ 「リゴレット」 に対する思いは、この二つの演奏に起因するものがホトンドだと思える。 他に、所有しているものは、 CD:ジュリーニ指揮ウィーンフィル、カップチリ LD:ゴッビ、モナコを含んだリゴレット・コレクションという抜粋もの |
■ 絶対の権力者が、弱き者の妻や娘を、慰みモノにする。 その弱き者の、刃向う事の出来ない権力者への怒り、憤り、憎悪の 音楽による踏込みの凄さが、、スゴイのだ。 父親として、夫としての表現ではあるが、感情の種類としては、幅広く共鳴できる。 独裁国の独裁者の横暴、会社等の組織の権力者の横暴から、身勝手な親の子に対する横暴、嫁と姑、、、この種の 我慢しなければならない憤り は、人生に満ち溢れている。 リゴレット、モンテローネ伯爵、チェプラーノ伯の憤りが、一生懸命生きている人の経験したであろう ”公平でない、悪、に対する憤り・激怒 ” に普遍化されている。 |
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普遍化されているが故に、リゴレットの音楽に共鳴していると、この手の状況が、サンプルとして、知識として、性格として自覚出来てしまう。 そうなると、自分が被害者でなくとも、、、近隣の独裁者、大国の身勝手な戦争等のレベルから、矢鴨事件等に至るまで、その加害者に憤りを感じてしまう。 傍観者では居られなくなってしまう。 と言っても傍観しているだけなのだが、、、、 ニュースを見ていて突然、憤りを露わにすると、完全なる傍観者である家族は、「他人事に何を騒いでいるのか」 と違和感。 |
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■ 何事も普遍化し整理し、一種のデータベース化しておくと、イザ、新しくそういう事態に遭遇するハメになった時に、賢明に対処が出来る。 憤るべき自分も情景の中の一つの駒として見えるから、怒り狂って無謀をするという事も減ってくるはずだ。 「はずだ」 というのも、こういう事態に陥る前に、適切に状況を変えているから、、、最近は、自分の事で憤った記憶がないのだ。 ただ、憤ったふりはする。 これは、相手のある問題の解決には速効薬であるので。 ヴェルディの音楽は、趣味の音楽以上の存在。 教養なんかでもなく、盛装してオペラ劇場に行く気取った社交でもない、ましてメロドラマでなんかでもない。 芸術と呼ぶに値する作品は、接した人の生活に、性格に、人生に大きな影響を与えるもの。 |
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憤り を露わにしよう。 憤り を自覚しよう。 そして 憤り をコントロールしよう。 起伏ある人生も楽しくなる。 ヴェルディの音楽は、 人生を彩りのある豊なものにする。 |
プラハとブダペストで2日続けて観たリゴレットだが、、、 演じる側にすれば、乗り易い作品、主役は勿論、脇役も役になりきれる作品のようだ。 両劇場とも、全員が成り切っていて、白けた部分はまったく無かった。 ■ プラハの国民歌劇場のは、予想を越えるものであった。 自宅で聴く程に繊細な演奏ではないものの、十分に楽しめた。 前夜は、国立歌劇場でプッチーニのボエームを観たので、両劇場を比較すると、 国立歌劇場(state opera)がドイツ系の人達が建てたもの、 それに対抗してチェコ人が建てたのが、国民歌劇場(national opera)なのだ。 <写真は休憩中に、フラッシュなしで撮ったもの> |
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≪国立歌劇場 STATE OPERA≫ ボエームを観た |
≪国民歌劇場 NATIONAL OPERA≫ リゴレットを観た |
国立歌劇場は 案内嬢はオバサンばかり 観光客が多く満席 |
国民歌劇場は 案内嬢は知的な女性ばかり モノを聴いても親切に的確に答えてくれる |
一昨年、ホセ・クーラが出演という事で、大阪でプラハ国立歌劇場のアイーダ引越し公演を観た。 なかなか良心的な公演だったので、ボエームを期待していたのだが、私には作品のボエーム自体が全く感情移入できないので、プラハでの観劇も 「良かった」 とは言えない印象である。 観光客の少ない国民歌劇場の方が、落ち着いて、演じる方も確りと演じていたという印象である。 ま、数演目見てみないと結論づける訳にはいかないだろう。 |
■ ブタペストのリゴレットだが、、 国立歌劇場ではなく、エルケル劇場での公演であった。 作品によって、国立歌劇場とエルケル劇場を分けているようである。 リゴレットの出来であるが、悪いものではないが、流れにメリハリが欠けるような気が、、、 演じ慣れて、その場その場が惰性で演じられている所が感じられる。 公演後の拍手も、客席の特定の集団との結びつきが露骨に、、正にオラが役者、という雰囲気。 |
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エルケル劇場の外観 |
エルケル劇場の内部 |
エルケル劇場の天井 |
エルケル劇場の内部 |
オペラを興行するのだから豪華である、、と思っていたのだが、エルケル劇場に入って驚いた。 ご覧のように、学校の講堂のように殺風景な内装である。 これで客が呼べるのか、と思うのだが、、満員である。 その理由は、、、、、日本から予約せずに当日ホテルで予約したので、席は最前列の右から5番目。 なんと、なんと、チケット代は¥950円、、、、、、安いのだ。 最前列の右から5番目の席は、偶然にも、ベルリンフィルハーモニーでラトル指揮のフィデリオを観た席と同じ位置。 エルケル劇場でチケットを受け取る時に、翌日の国立歌劇場のバレエのチケットを買ったのだが、、、 こちらは、前から4列目の真中で¥3000円であった。 |
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エルケル劇場の舞台 最前列の自分の席から |
豪華な国立歌劇場 ここでのバレエは面白かった |