昨年末WOWOW放映分を録画していたものを見て、久しぶりの大人の映画に大満足。
投機商品でなく、歴史的遺産である芸術品をこよなく愛する者にとって、
懐かしく、自分と同じ精神世界にいる人が創った映画だと、しみじみとした満足感。
ゼッフィレッリと言う人の、懐の深さ、知識、その扱いの聡明さに、改めて尊敬。
流行に流されるのでなく、それぞれ信念を持って生きていく人達のお話かと思えば、
冷静な短い画面で、時代を語り、戦争を語り、
国、民族の問題を語り、
しかも、さり気なく、展開に仕掛けが隠され、、、、、、
溢れるユーモアも、観る人の深さに応じて、垣間見えるように随処に隠され、、、
ありふれた美人・美男を主人公に、チビ・デブ・ブスを脇役に据え、美人・美男がHappyになるというような、大人を馬鹿にしたようなウルトラ単純映画が感動の対象として、賞賛される世界とは、、、別世界の精神世界が、価値基準の違う世界が、存在している事に感謝、感謝。
永い体験が、広い知識が、公平な見識が必要とされる、それが無ければ、
ゼッフィレッリが組み立てたストーリー、彼が選んだ場面、彼が選んだ個性、、の真意が不確かになる。
マギー・スミス アカデミー賞女優 |
シェール アカデミー賞女優 |
ジョーン・プローライト アカデミー賞女優 |
ジュディ・デンチ アカデミー賞女優 007の”M”役 |
ベアード・ウォレス 新人 |
イタリア芸術遺産の何たるかを
歴史の展開の何たるかを、
個人が被る影響を
ヨーロッパにおける民族意識、民族性、
イタリア気質、イギリス気質、アメリカ気質、そしてスコットランド気質
スイス、オーストリア、ユダヤ、、
それぞれの国情 満遍なく、不足なく、的確に、さり気なく自然に組み込まれている。
すべて中味で自らの個性を現している。
中味を現すべきブランドの、ブランドラベルのみが重要で、ブランドラベルにのみ価値がつき、
ブランド名が無ければ無視されるご時勢に、、
中味だけでさり気なく構成され、
鑑賞する人の知識に応じて、手の内を知らしめる上質の映画。
改めて、フランコ・ゼッフィレッリの奥深さに、驚嘆させられた。
映画の最後の一言まで、心憎いユーモアである。
■ 脚本は、イギリス人ジョン・モーティマーとゼッフィレッリとの共同執筆のようであり
イギリス人の教養、それに基づくユーモアのセンスの存在感を改めて認識させられた。
この知識を必要とするユーモアの問題は、かつて、コベントガーデンでの
『 こうもり 』 の映像のユーモアと、
「酔っ払いの失敗で笑いを採る」 ドイツの映像との比較で、取り上げたのだが
この違いを理解できるオペラファンは皆無で、指揮者のブランドの違いしか話題にされなかった。
提案した問題点の所在さえ認識されなかった。
シェークスピアの伝統を持つイギリスの演劇界、、これらが文化の差なのだろう。
出演者の魅力だけしか見えない人達の存在があるからこそ、興業が成り立っている事を思って、全ての芸術・芸能愛好家は、皆仲良し!
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