≪ エジプト、カルナック神殿、ルクソール神殿≫

2003年11月エジプト旅行報告(4)
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■ 約2000年の長き間、各王によって増築を重ねてきたルクソール東岸の
 カルナック神殿と、その副神殿のルクソール神殿の見学報告と
 夜、観光馬車で訪れたスーク初体験。

■ ピラミッド時代は、首都はナイル川下流の肥沃なメンフィスだったが、1000年を経て
  紀元前2000年頃には、ナイル川中流のテーベ(今のルクソール)が首都となり、
  膨大な富が都テーベに集中し、国家神となった<アメン・ラー>の、神官、神殿が強大となる。

           (年代等の解説は、ふくろうの本「図説古代エジプト1,2」を参考にしました。)

長いエジプト歴史を少しでも体系的に把握する為に、下の簡易年表で時代を確認。
観光に関連した<<エジプト歴史表>> []の部分を観光。
BC3000 <観光>
ピラミッド
BC3000
BC2620
BC2520
エジプト全土統一
ジュセル王、階段ピラミッド造営
クフ王、ギザの大ピラミッド造営
BC2000 <観光>
カルナック神殿
王家の谷
ツタンカーメン
アブシンベル神殿
モーゼ出エジプト
BC1520

BC1350
BC1275
トトメス1世、カルナック神殿造営、王家の谷を開く
ツタンカーメン擁立
ラメセス2世、カデシュの戦い
BC1000 <観光>
コム・オンボ神殿
エスナ神殿
イシス神殿
アレキサンドリア
BC 332


BC 30
アレキサンダー大王征服


クレオパトラ7世 自殺
    0 <観光>
古代神殿、神像破壊
AC325

AC380
エジプトのキリスト教は異端とされ、以後 「コプト教」と呼ぶ。
ローマ皇帝テオドシウスがキリスト教公認し、それ以外は邪教と思われ、エジプトの神殿、神像が破壊、破棄された。
AC1000 <観光>
スエズ運河
アスワンハイダム
1869
1970
スエズ運河完通
アスワンハイダム完成

★ カルナック神殿 KARNAK ★




↑↓ ルクソールを訪れる最大の楽しみは、このスフィンクス群を見る事にあった。 ↑↓
古代エジプトの映画等では、参道の両側に並んだスフィンクス群が、壮大に表現されている。
その壮大な演出になんとなく あこがれと言うか、かっこ良さを感じていたのだが、、



↓ルクソール神殿からカルナック神殿の間の参道跡、(バスから撮影)
かつては壮大に並んでいたスフィンクスは全て破壊されている。
 ☆ カイロから飛行機でルクソールへ、
着後そのままバスでカルナック神殿観光し、その後
クルーズ船チェックイン、昼食後にルクソール神殿観光。

↓神殿入口前の大駐車場        神殿前の広場と土産物店 ↓
↓カルナック神殿入口、<スフィンクス列>と<第一塔門>↓
遥か向こうの奥が、アムン・ラー神 至聖所 (南東方向)

↓中庭から崩れた第二塔門、その奥に列柱室
殆んど神殿の基本は同じ

<塔門>

<中庭>

<列柱室>

<至聖所>

カルナック神殿は
各仕切に塔門があり
その数、10塔門以上
↓ 第二塔門前のラムセス2世像

↑↓ 中庭
↓ 列柱室、
↓造営した王の自慢話のレリーフ
↓ 機能的には無意味な柱数

↑列柱室を振返る
↓列柱室を抜け、、トトメス1世のオベリスク
↓振返ると入口は凄い人
↓ラムセス2世像
倒れたハトシェプスト女王のオベリスク ↓

↑列柱室とトトメス1世のオベリスクが見える。
歴代の王が、戦勝祈願、成就etcにより、
神殿造営を繰返したので、縦に横にと神殿は拡張されている。
↑↓中庭のスフィンクス列。 第一塔門前のスフィンクスとは違い、こちらは殆んど首が破壊されている。
↓ラムセス3世神殿入口
↓ラムセス3世神殿中庭の像
宗教というのは、人の不安をあおり、寄進を強要し、祈願し、結果良ければ神の御かげ、悪ければ寄進不足が原因と追加要求、、と何時の世も、何れの地でも世渡りがうまいものである。

カルナック神殿の拡大、すなわちアメン神の神官達の権力増大、横暴で、王権にまで干渉するに至り、
<アメン>ではなく<アテン神>への信仰転換や、王宮を対岸の西岸に移したり、新首都アマルナへ遷都したり、
と、、、2000年の間には様々な変遷があったが、今や一括して一大観光遺跡である。

何れの世でも、宗教権力は増大し、政権と戦い、政治を左右し、富の集中を経て、最後に観光スポットとなる。
ローマのバチカンも同じ。
バチカンの場合、巨万の富の集中が、イタリアルネッサンスを発展させ、素晴らしき心打つ芸術作品を町中に溢れさせた。
しかし、エジプトの場合は、時代が数千年も古い為か、芸術作品とは違う、巨大さだけが印象に残る建造物
、、、何か物足りなさを感じる観光旅行にならざるを得ないのだ。
神と王だけの存在、、、
一般人間の心を形に表現する事に気が付くには長い時間と才人の積み重ねが必要だったのだ。


★ ルクソール神殿 ★

カルナック神殿の副神殿としての存在なので、規模は小さい。
南のハーレムと呼ばれ、年に1度ナイルの増水期に
カルナック神殿のアメン神が妻のムト神と過ごす為のオプト祭礼に参加する為のモノ。
↓ ルクソール神殿の前のスフィンクス参道。  カルナック神殿へ伸びている。 ↓
団体行動の為、適切な撮影ポイントを探す余裕が無い。
少し高い位置から撮って見たいものだ。
↓ ルクソール神殿の塔門 ↓
↓オベリスク。 対で右に建っていたオベリスクは
現在、パリのコンコルド広場に建っている。

 ↓ 自己顕示欲の極度に強いラムセス2世の頭
↓ラムセス2世像
↓ラムセス2世像とオベリスク基部
↓ラムセス2世像は上下エジプトの王の意味
↓列柱室

↑ラムセス2世の中庭

↑アメンへテプ3世の中庭、パピルス柱
↓右手の白い塔は、イスラム教のモスク
神殿の中に、モスクが入り込んでいる ↓


★ ルクソールのスークで買い物 ★
神殿観光の後、クルーズ船に帰り、夜は観光馬車でスーク見物
(これはオプショナルツアー)
←うれし恥ずかしの観光馬車

地元用のスーク(市場)を馬車のまま通過して、観光客用のスークを徒歩で自由散策。  →
ワン・ダラー! ワン・ダラー!
1$、、トモダーチ!
体験した者のみ解る1$の意味。

1$で呼び込んで
10$と吹っかけて出発点、
5$にするまで時間が掛かる。
参加者が各々、1$のスカーフ、香水瓶、、と安価なものばかり買って、初めてのスーク体験に大興奮。
この興奮で、皆さんうちとけて気楽に話ができる様になった。
この日以後、交渉のノウハウを得て、アチコチの土産物屋で積極的に冷やかし放題。

■  この日以後、4泊のクルーズ船住まいとなる。 翌日は、ナイル川西岸の王家の谷へ、、

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