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≪ 洛陽 : 龍門石窟 ( 西山石窟 ) ≫北魏の493年頃造営開始岩窟洞 = 数千窟 石削仏像は、大小あわせ 万体を越える。 洛陽(龍門石窟)、平遥、太原、北京 一人旅 (1) 2015/11/02 〜 2015/11/16 |
龍門石窟のバス停を降りて、、土産物歩行街、チケット売場・ゲイト、石窟北門、そして石窟群、、南門 と 約 2km の歩きである。 洛陽では、 入場券が高額な施設に限り、、老人免費は、外国人は対象外であった。 ここ龍門石窟も、、120元(2400円)をマトモに支払う。 伊河 ↑ 北入場門を入る。 右端の龍門橋より南に、、石窟群があり、 ↑ ↓ 結構な距離を歩く。 石窟領域への入口となる龍門橋 ↓ ↓ 龍門橋をくぐっても、、暫くは南に歩く。 龍門橋が左端に見える。 ↓ 空気の透明度は悪い。 (今回の旅行期間中はずっと悪かった。)
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いよいよ 西山石窟群の始まりである。 事前にガイドマップを見ていて、高低差もあり、 名前の付いた石窟があまりにも多すぎるので、 見逃してしまうのではないかと心配していたが、 現場の標識に従えば、、ほぼ連続して移動できる。 ↓ 潜渓寺 ↓ 大きな石窟には、御本尊と脇仏で構成されている、 小さな窟は、、御本尊に、、レリーフ、、なのが一般的。 いずれも、、、殆どが 風化での崩壊が著しい。 窟のみならず、レリーフレベルの浅い彫りも、、、 これらは、、個人的な動機による物だろう、、まとまりは全くない。 賓陽三洞 ( 北賓陽洞、中賓陽洞、南賓陽洞 ) はまとまった大きさだ。 北魏、 唐 の時代の皇帝の計画による。 ↓ 南賓陽洞、 中賓陽洞、 北賓陽洞 ↓
賓陽三洞 の後は、、小さな 石窟が続く、、 此処まで見てきて、 風化のせいか、、魅力的な仏像が見出せない。 インドの カジュラーホ や アンコール遺跡群は、、雨ざらしの遺跡なのに 魅力的な石像で溢れているのに比して、、(時代が数百年も新しいのだが、) 龍門石窟の 現状は、、石像としては魅力がない。 ↓ 小さな窟で 唯一 魅力を感じた 石像。 敬善寺洞 ↓
摩涯三仏 香山寺境内から見た西山、、、賓陽三洞、摩涯三仏は 中央やや右に見え、 奉先寺は左手に霞んで見える。 一度、、下って伊河沿いの歩道を歩く。 羅鼓泉、珍珠泉、牡丹石、、、名付ける程のものではないものまでガイドマップに掲載するので、、主要なものが目立たなくなる。 再び 階段を登り、、 万仏洞 (結構 構成要素は揃っているのに ’寺’ とはならない) 唐の時代 左右の壁は、、小さな仏様で埋め尽くされている。 万仏洞 の天井は 着色が残っている。 万仏洞の入口周辺も賑わっている。
清明寺 恵簡洞 恵簡洞、、、整った尊顔である。 再び 歩道へ 老龍洞 大きな石窟だ。 蓮花洞、、、、天井が蓮の花なのだ。 次は いよいよ 奉先寺 だ。 |
↓ 奉先寺への階段 ↓ 蘆遮那仏の頭部だけが見える。 東山から見た 奉先寺、、、、壮大な舞台である。 画像クリックで大画面へ 現場から見上げた 蘆遮那仏 この蘆遮那仏は、、則天武后が 自分に似せて建造させたもの、、、 龍門石窟群のなかで、、唯一と言って良い程 見応えのあるものだ。 残忍な悪女として有名な則天武后とは、、
↓ 洞の中なのに、風化したり、崩壊したりと、、見応えのあるものの少ない龍門石窟なのに、、 ↓ 何故に 屋外の 蘆遮那仏 だけが これほど美しく 現存しているのか? 後世に、、補修、復元 したのでは?? と疑問が湧いてくる。 拡大して 検証してみるが、、、、 |
最大の見所を終えて、、、 最早、、じっくりと観る気力は失せている。 六座塔 インドのエローラ石窟を 2度にわたり全窟を堪能した者には、 結局、、龍門石窟は、、数は多いが、、中身は希薄、、という印象である。 龍門石窟を訪れれば、いづれ大同の雲崗石窟も訪れなければならないと思っていたが、 この程度ならば、、、雲崗石窟の写真を見るだけで、、想像できると 思ってしまう。 東山から見た 対岸の西山石窟の全景 |
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