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≪ 平遥古城 ≫紀元前の西周時代に建てられ北魏時代に平遥とされ、 明の時代の城壁が完璧に現存する。 太原から鉄道で日帰り 洛陽(龍門石窟)、平遥、太原、北京 一人旅 (8) 2015/11/02 〜 2015/11/16 |
太原から平遥へは、、新幹線 or 在来線か迷ったが、、(バスの選択肢は直ぐに除外) 新幹線だと、太原南站、平遥古城站共に不便で時間が掛かるので、在来線での往復を選択。 洛陽から太原に到着した日に、、 太原南站で、、4日後の帰路の北京西站行きを購入。 太原站で、、2日後の平遥往復を購入する。 直ぐに購入したのは正解で、、 当日は、、行きは満席に近く、 帰路は、、立ち席も超混雑だ。 在来線の K*** は、わざと遅くしていると思う程に、、ノロノロ走行、、このノロノロが 時間以上に不愉快にさせる。 太原7:50 → 9:14平遥 と 1時間半弱 の乗車時間。 ↓ 平遥火車站は、、乗車券販売窓口が2つだけという小さな駅だ。 ↓ 平遥火車站駅前で、、古城行きのバス停を探す。 中都中路を順城路を挟んで右左と探すが、、バス停が無い。 仕方なく、、順城路を進むと、、100m程でバス停発見。 停留所名 = 火車站(居広居) 102路 が古城を通過する。 ↓ 来たバスを見て驚いた、、、田舎の小型バスだ〜 2元 ↓ バスは、、中都中路を右折した所で停車、、先程探した所だが、バス停標識は無い。 客らしい人が立っていれば停車するのである。 双林寺に行く為、バステーミナルから 108路に乗った際、、判ったのだが、、 古城北門にも 停留所標識は無かったが、、前後で2度停車し客を拾う。 火車站では、、5度も停車して客を拾っていたのだ。 火車站、古城北門 と観光客には最も重要な停留所に標識が無いのである。 それ以外には、、マトモな屋根付きの停留書があるのである。 (変な田舎街だ!) 古城の北西角の楼閣が見えた所で降車し、、北門まで歩く。 堀越しの城壁の写真を撮ろうとしたのだが、、それらしい場所は見当たらず。 ↑ 北門 = 拱極門 ↑
北門(拱極門)をくぐり、、早速 城壁に上る。 明の時代 1370年の創建当時の姿だそうである。 1368年が、元を追い出し 明 建国の年だから、 建国早々の築城と言う事になる。 (首都は南京) 城壁の上は、西門=鳳儀門まで 1200m を歩く事が出来る。 城壁の全周は 約 6km。 櫓 = 敵楼 の数は72楼 城門と一体となった城楼は、 6楼。 古城内を見る (南方向)
城楼 土敦台(とんだい)から見る。 土敦台(とんだい)から外側を見る。 外堀が見える。 (右上が入場券売場) ↑ 城壁を下りて、、北大街へ 観光用の歩行街は、、南北に 北大街、南大街、、 東西に 西大街、東大街 と 衛門街 と 城隍廟街。 歩行街は、、食堂、土産物屋、名産店、、宿、、公開施設、、 飲食店は、、多く、、写真付のメニュー表示がある。 ↓ 買い食いも多彩、、、↓ 籠入りおこわは、おばあさんの手作りと思ったが、あちこちで売っていたので、、単なる売り子に過ぎない。 おこわには味付けが全く無くて、、振りかけた砂糖に馴染めない。 ↓ 土産物で多かった特徴のあるものは、、推光漆器だった。 ↓ 綺麗な店舗では、、、小 300元 の言い値だが、、 路上に展示している安い店では、、小 50元、 大 60元 北京の紅橋市場、空港でも売っていた。 地元名産品では、、、平遥牛肉、醸造酢の販売が目立つ。 小瓶で、、8元、9元 から 一律 10元 とマチマチ。 北大街から北門(拱極門)を振り返る。 北大街の 二郎廟 GATEの若い女の子達、、パスポートを見て、、「 こんにちわ! こんにちわ!」 の連呼。 ファッションかアニメ、、等で 日本は親しみのある国なのだろう。 二郎廟 map 意外と、、内部は広かった。 仏教寺院でないものは、、、誰が祀られているのか、、全く興味が無いのだが、、 二郎廟 を 出て、、、北大街へ、、、 歩行街と交差する 小路=巷、、、民家や宿、、 博物館と称する建物が多いのだが、、、全部観ていては記憶が薄れるので、、厳選しなければ、重要なモノを忘れてしまう。 北大街が終わり、、東西の 西大街、東大街 に分かれる。 東大街が 南大街に通じる賑やかな本通り。 西大街は、、西門へ行くのみで、、賑やかさはやや劣る。、 本命は後にして、、、先ずは、、西大街で小手調べ、、、 西大街も、、、有料博物館、、レストラン、宿泊施設、、土産物屋、、 住宿の看板が多い、、、四合院をホテルに改装しているようである。 ↓ 西大街 の途中から、、南の 巷 へ、、、住民の居住区へ ↓ 宿泊施設が多そうである。 ”独立衛生間” ユースホステル? 沙巷街を東へ、、更に内部へ ↑ 華林園 ↑ 吉祥寺、花園街 と通過して、、北に折れて 再び東大街へ戻る。 ↓ 東大街 ↓ ↓ 東大街の 代表的な 票号=銀行の前身 日昇昌 の中国票号博物館 ↓ 複数の中庭の周囲に小部屋があり、それぞれが 仕事部屋、作業部屋、事務所となっている。 日昇昌 = 清時代1823年創業、支那 China 最初の票号で、日本にも支店があったらしい。 ( 晋商と呼ばれる山西商人の拠点で、、清代末期には、、票号は 大きなもので 20数軒あり、支那全土の半数を占めた。 ) 有料入場施設は、、**博物館として多数ある。 東大街、南大街は、、西洋人を初めとする観光客で溢れ、、土産物屋も 実演を交えて賑わいを盛り上げる。 南大街、、、市楼が見える。 ↓ 過去に見た TVのドキュメンタリーの平遥は、もっとのどかな街に見えたのだが、、現状は全く違う 超観光街だ。 ↓ ユネスコ世界遺産に登録された結果なのは間違いない。 ↓ 市楼の屋根 ↓ ↓ 協同慶銭荘博物館 ↓ 映画 「白銀谷」 「喬家大院」 のロケ地だそうで、、超混雑 複数の中庭の周りに、、事務房多数、、、地下金庫が有名 様々な展示があるが、、何処とも想定内なので刺激はなく素通りだ。 協同慶銭荘博物館を出て、、この周辺にも、、博物館は多い。 博物館に混じって、、、休閑会館、、、英語表記は、、SPA だ。 ↓ 数種類の粉を入れてからお湯を注ぐ何とか茶だが名前を撮っていなかった。 大仰な焼き鳥機 ↓ |
↓ 南大街は、、南門 = 迎薫門 に辿りつく ↓ ↓ 南門 = 迎薫門 は 北門と同じく 土敦台(とんだい)が出っ張っている。 ↓ 城楼から 北の市楼、南大街を見る。 明時代の建造物そのまま、、 明時代そのまま、、と言うのは、、近代の流れに乗れずに没落した商家、、街を再開発する予算が地元政府になかったからだ、、そうだ。 南門 = 迎薫門 から南の光景、、、何もない、、、城門前だけに堀跡か? 城壁の西方向 土敦台(とんだい)から、、城壁の外側を撮る。 城壁を東へ歩く。 南の城壁は、真っ直ぐではない。
↓ 200m程の 文廟への出口を 過ぎ、、東南角の奎星楼 を目指す。 ↓ ↑ 東南角の奎星楼 東南角の櫓 = 敵楼 ↑ ↓ 東南角の外側にも、、外堀の気配は見られない。 東南角の奎星楼 ↓ 東側の城壁を歩き、、新東門まで行くが、、ここからは下り階段は閉鎖されていたので、、 文廟への出口まで 戻る。 文廟への出口を下るが、、、この通りは 全て休業中だ。 ↓ 文廟 =孔子廟 ↓ 広い境内だが、、、参拝客は疎ら、、、 側廟 の 祖師殿 内部
↓ 文廟の後は、、、城隍廟へ、、、 ↓ こちらも 落ち着いた一画だ。 城隍神と言うのも良く判らない。 氏神、街の守護神 だと理解している。 財神殿、、、庶民感覚の信仰、、 城隍廟街 も様々な店舗、、、13:26 昼食とする。 ↑ 山西肉と香草炒め 26元 + 涼拌麺 18元 ↑ 涼拌麺 は焼きそばだと思ったのだが、、冷たいままで気持ちが悪かった。
↓ 北大街から北門を抜け、、北関大街を通り、、中都東街へ ↓ ↑ 途中に 帝尭廟 ↑
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