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≪   盧溝橋 ・ 宛平城 (北京)   ≫

盧溝橋=金の時代1192年建造
宛平城=明の時代1640年完成


洛陽(龍門石窟)、平遥、太原、北京 一人旅 (17)
2015/11/02 〜 2015/11/16









↑  赤がバス路線、、、紫色は、、北京西駅から洛陽への移動時のGPS軌跡  ↑

往路は、地鉄で大瓦窯站から、バス339路に西道口北站から乗り、盧溝新橋で下車。
帰路は、盧溝新橋站から 662路のバスで北京西站まで、、、高速で停車駅は僅か!





地鉄大瓦窯站A出口は、殺風景なロータリーなので、バス停西道口北站の方向が混乱。  方位磁石を出して注意深く確認する。



バス339路は直ぐに来た。

盧溝新橋站からは、、殺風景な道を、標識に従って徒歩、、、



程なく、、右手に 宛平城の城壁が見えてくる。  城壁は完璧に残っている。




盧溝橋の東の広場  (背後に宛平城の西門がある。)




盧溝橋  &  宛平城の永昌門




盧溝橋は、、金の時代1192年に建造された石橋


全長260m。 幅7.5m  11のアーチ


欄干には 約500体の獅子石像、、一つ一つが個性的で彫が深い。




橋は現在 観光用である。  中方の石畳が波打っていて通行には不向き、、デザインの為?? 理解に苦しむ。




獅子石像は、、一体一体の姿勢が異なっている。  これは存在感のある石造であり、、修復されているのだろう、、全て揃っている。








石像の色が違うのは、、修復された時代を反映しているのだろう。




単なる欄干飾りではなく、、芸術的でもある。  北方の野蛮な女真族の金王朝の時代の建造とは、、イメージが合わない。




南側には、、盧溝新橋




北には、、鉄橋、、、北京西駅から洛陽へ行った時に通過した。



彫刻として  魅力は大である。






■  宛平城  :  明の末期  李自成の農民反乱防御の為、1640年 に完成

李自成は、、農民反乱の指導者で、、明を滅亡させ、、順王朝を建てたが、直ぐに 清 に滅ぼされる。

城壁内は 歩行街、、、抗日戦争記念館等がある。  城壁へは登れない。


14:50  今夜も 北京大劇院で マリインスキーバレエ鑑賞なので、、、帰路に着く。


帰路は、盧溝新橋をくぐり抜けた所にバス停、、 662路のバスで北京西站まで、、、
停車駅は僅か5駅と、、途中は高速で走行しmm直ぐに北京西駅へ!







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