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≪  寧波 : 天童寺  ≫

西晋300年創建で、禅宗五山の一つ
南宋時代に曹洞宗開祖 道元の修行の寺


杭州と広州 基点に2週間独り歩き (6)
2016/02/22 〜 2016/03/07










阿育王寺の後、育王站まで歩き、、162路のバスで 天童寺へ向かう。

バスは東吾鎮の中をグルッと回り、

幹線通りに戻り、 七層の五仏塔(小白塔)

の下のトンネルを抜ける。

トンネルを出ると 三渓浦水庫が右手に見える。



東吾鎮天童村の如何にも生活臭のする村道を抜けると、、
前方の山の中腹に、、高い塔が見え、、期待を抱かせる。





↑  終点の公交天童站、、、ターミナルを出るが、、 ↑
それらしき参道も標識がないので、、戸惑う。
それらしき北の方向は、、通行制限のGATE。
キョロキョロとするが、、
乗客はGATEの隙間を抜けて行くので、、流れに従う。

車道を歩くが、、標識も地図も見当たらない。

やがて、、左に梅林、、、天童寺との関連は見当たらない。
観光車の停留所らしき標識があったが、、無人
場違いに日本語の標語、、
「 福広い天童、ありふれない仏教 」
何のこっちゃ!!




↓  遠くに、、仏塔が見えるので、、車道を その方向に歩く。 ↓








↓  車道横に階段があるので上ると、、広大な広場、、でも 殺風景だ。  ↓




広場を登ると、、賑やかな参道が、、、
私は間違った車道を通ってきたのだ。
梅林の中を抜けると、、参道に導かれるのだ。




土産物屋が並び家族連れ等の人通り、、
しかし、、案内標識も地図もない。

天童寺景区としてのメリハリが見当たらないのだ。



↑ 天童寺の照壁 と 内万工池  ↑


↓  内万工池 越に 千佛塔が見える。  ↓





参道から離れた 天童森林公園の入口に
やっと 案内図を見つけた。

しかし、、これは森林公園の案内図でしかない。




天童寺  天王殿




天王殿は、、弥勒菩薩、韋駄天菩薩、四大金剛像と
どれも 阿育王寺の天王殿に劣らない像であるが、、


朱色と金色の装飾が、、やや弱い、、
立派なのだけれど感銘が薄いのだ。








佛殿 = 大雄宝殿




釈迦三尊 は 同じ印相で変化はない、、












↓  釈迦三尊の背後  ↓
巨大な観音絵巻である。

全ての僧は金色に輝いている、、、
豪華絢爛の筈なのだが、、馴染まないのである。
違和感の原因は、、直ぐに気がつく、、
背景の緑色を主とした配色と金色の多さが合わないのだ。
阿育王寺の観音絵巻は、、素晴らしいと感じたのだ。


↓  参考図  阿育王寺の観音絵巻  ↓

比べてみると直ぐに判る。
阿育王寺の観音絵巻は、、前面の僧侶達のみ金色で、、
背景の人達は、、小さくて地味な配色、、岩場等の風景もリアリティがある。
全体のバランスが考慮されているのだ。

天童寺のそれは、、喜捨が多額であったのだろう、、
全て金色にしてしまったのだ。
万仏堂ならそれで良いのだろうが、、、
背景に意味のある観音絵巻では、下手物になってしまう。

最初から最後まで、、この 現在の天童寺は、、何か足りない。
中心になる僧達に、、、、
( 一度の訪問で結論は出すべきではないが、、印象は記憶しておかねばならない。 )











千佛塔へ





八層の千仏塔 (1層目が2層で1層なら、七重の塔となる。)


日本語の解説があった。

昔、、千光栄西 という日本人が 仏への恩返しの為に
日本から僧59人と巨木を運び、千仏塔を建立した。
1587年に水害で崩壊した。
現在の塔は、、地上54m +地下5m = 59m


遠目はシンボリックなのだが、、
壁は、、白い煉瓦造りで、、窯場みたいで味気ない。
一階だけではなく上層部も煉瓦むき出し。
白い漆喰で仕上げれば、、落ち着いた良い塔になるだろうに、、

貧乏寺ではなく、財を尽くしているのは判るのに、
現在の 天童寺は、、天童寺景区を含めて、、
何か足りない、、、私の個人的な感想である。
阿育王寺が素晴らしく、、居心地が良かった為、
そう感じてしまうのだ。


帰路は、、土産物屋街を抜けると

真っ直ぐに参道となる。



公園にするのだろうか、、未完成の感は否めない。




162路のバスで来た道を走る。

問題は、、、何処で降りるかだが、、

路線図で地鉄連絡站を意識していた。

前方に、、明らかに地鉄駅入口が
見えたので降車する。

地鉄東環南路站である。 (1号線終点)
バスの站名は、邱隘民営工業区站 だ。

往路も 地鉄東環南路站で降り、邱隘民営工業区站からバスに乗るのが、最も判り易い。


地鉄を 鼓楼站で 2号線に乗り換えて、、高鉄寧波站まで、、




高鉄寧波站は、、何処にでもある構造だ。



16:10 高鉄寧波站着
帰路の列車は、、17:00  と 丁度良い時間。


十分に余裕があり、、寧波外灘公園界隈の散策を予定していたのだが、、
阿育王寺 と 天童寺 だけで、、丁度良い時間となってしまった。


訪問する前は、、辺鄙な端っこの地 と感じていたのだが、、、

普陀山と言い、、日本へ来た鑑真和上と言い、、
日本の遣唐使もこの地を目指していたとの学習で、、
寧波とは、、日本にとって重要な 且つ 身近な 地であった、、と思い知る。





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