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≪ アダーラジの階段井戸、Ruda Baoli ≫1498年(1502年)に、ヴァーゲラー朝の王妃ルダにより造営開始ヒンドゥ王国のヴァーゲラー朝だが、井戸の完成前に、 イスラム勢力に滅亡され、イスラムによって完成される。 4度目のインド旅行 and 初めてのインド一人歩き (6) 2013-03-04 〜 2013-03-23 |
メーサナのバスターミナルから アフマダバード
へ向かう。 アフマダバード行きは、4番乗り場から、、バスの行き先表示は英語ではないので、運転手に確認。 リュックにもなる布製の荷物なので、、網棚に納める事が出来た。 ハードケースだと、高さ・幅ともに、、網棚は無理であったろう。 8:30 出発したが、、乗客は疎ら、、土曜日のせいなのか、アフマダバードまで終始疎らであった。 運賃は、77 ルピー、走行距離 84km、所要時間 2時間10分であった。 幹線道路41号線は、、大半は田舎の風景で、、工場やショッピングモールが時々見受けられる。 街らしい密集は、、Kalol ぐらいだったろうか、、、 ↓ 9:53 アダーラジ村を通過 ( GPSにルート登録しているので、ピンポイントで確認 ) ↓ 午後には、ここで下車するので、風景を確りと記憶にとどめる。 アフマダバード に近づくにつれて、、道路は混み、信号待ちも長い。 新市街に入ると、、渋滞も激しくなる。 10:40 にバスターミナルに到着。 2時間10分の乗車である。 先ず、、今夜のホテルを探さねばならない。 オートリキシャの呼び込みが激しい、、 鉄道駅前でホテルを探す予定だったのだが、、 運転手が変なホテルに連れて行かないように 駅前の Moti Mahal を指定する。 運賃は、50ルピーと明らかに外国人価格で妥協しない。 駅前の Moti Mahal は、、残念ながら満室。 近くに見えるホテルへ行こうとすると、、 それ見たことかと、、待ち構えていた運ちゃん、、 「直ぐそこだ、、」 とがんばってくる。 根負けして、、、直ぐ近くのリッツインの隣のホテルへ。 Marshall ホテル、、部屋が小奇麗だったので、 税込み3400円とちょっと高かったが、、決定。 (結果的には、、今回の旅行では、一番の満足感) ホテルに、荷物を置いて、直ぐに出発。 オートリキシャで、先程のバスターミナルへ、、 バスターミナルの案内所で、、「 Adalaj ? 」 「 1番のメーサナ行き ! 」 との指示。 何のことは無い、、今朝の逆方向だ!!! 23ルピー、19km 11:35 発、Adalaj 着 12:33 ↓ 約1時間の乗車 ↓ アダーラジのバス停は、、単に路上に停車するだけ、、 私は、GPSに幹線道路から階段井戸までのルートを Google Earth を基にして記載しているので、、 近づいて来た所で、乗降口に移動して、下車をアピール。 GPSのお陰で事前に心の準備が出来る。 特にガイド標識は見当たらなかった。 ゆっくりと歩いて、階段井戸へ向かう。 歩いて肌で雰囲気を感じるのが、印象深く記憶に残る。 店舗、住宅、、広場、、、農村ではないようである。 10分で Adalaj Vav Ruda Baoli に到着。 |
特徴は、、最初の導入階段が、、東西+南の三方に付いており 合流するホールの天井部分が八角形の吹き抜けとなっており、 華麗な劇場へのエントランスの様である。 エントランス・ホール、、、当時のままなのか、、復元されたかのように完全な姿。 エントランス・ホールを上から見る。 エントランス・ホールから階段を見下ろす。 最深部は、5層なのだが、、この位置では2層。 左右の土圧の為の、横の梁部分は数が多く、しかも全て残存しているので、、 内部は、、パターンの階段井戸に比べ、明らかに暗い。 ( パターンの階段井戸は、、横幅が2倍程広く、、上部の屋根部分が現存していないので、非常に明るい。)
1498年(1502年)に、ヴァーゲラー朝の王妃ルダ ( ルダバイ ) により造営。 と碑文にあるらしい。 しかし、以下は、言い伝えだけなのか、確りとした文献には記載されていない。 ヒンドゥ王国のヴァーゲラー朝は、井戸の完成前に、イスラム勢力に滅亡されてしまう。 王は殺されてしまうが、魅力的な王妃ルダは、イスラム王に求愛を受ける。 王妃ルダは、、階段井戸を完成させてくれるなら、結婚すると約束した為に、 イスラム勢力によって完成されるが、、完成後に王妃は自害してしまう。 ヒンドゥー教の階段井戸なのに、、神像やアプサラ像が無いのは、 イスラム勢力が完成させた為である。 梁や柱の文様だけの繊細な彫刻は、、魅力ではあるが、、、 何も無い面だけの壁の面積が圧倒的に多いので、、 私には、、とても淋しい思いがする。 当時は、壁掛けや置物で装飾されていたと言うのなら理解できるが、、、 15〜16世紀のこの地方には、、偶像彫刻をする石工集団がいなかったのでは、、と仮説も考えた。 パターンやモデラーは、、11世紀の建造だ、 カジュラホは、、11世紀以前、、 ラーナクプルのアーデナータ寺院は、、15世紀だが、、ジャイナ教で偶像彫刻は少なく装飾彫刻主体。 エントランス・ホールを見上げる。 梁だけの装飾に壁に祠、、、往時は、、絨毯にソファー、、花瓶に花花、、なら納得するのだが、、 繊細な柱の彫刻と、、何も無い壁面、、壁掛け and 置物で飾れれるのが前提では、、 祠の彫刻は、、様々な文様 現地の人達は、、友人同士、アベック、、家族連れ、、と多彩、、 団体の観光客は皆無。 ↑ この女の子は、、この後に ↑ 私に興味を持って、、話しかけてくる。 「何処から来たの?」 と訊かれたと想定して 「 JAPAN 」 と答える。 毎度の如く、、軽い交流、、、 奥に下りても、、装飾は同じで、、階層が増えるだけ。 下の八角ホールが見えてくる。 最奥部の井戸は、、進入禁止で、、手前の井戸の手前まで。 吹き抜けの上部は、、八角形 吹き抜け、、、各層一辺に 10人として、一層 80人、、、 合計数百人が楽しんでいたのだろう。 望遠で撮った最深部の壁面 エントランスに戻り、、外部の観察に向かう、、、 「 チィー チィー 」 と 鳴き声が聞こえるので、探すと、、リスが、、下を見て鳴いている。 まるで子供を探しているように、いつまでも鳴いていた。 ↓ 構造的には、、完全に保存されているようだ。 ↓ ↓ 西側に、、石棺が 5基 残存している。 ↓ 言い伝えレベルの物語なのだが、、(まともな本には掲載されていない話。) ** 階段井戸完成後に、イスラムの王が石工の棟梁達に訊く。 「 これらと同じ素晴らしい階段井戸を再び作れるか? 」 と 親方達は、、「 ご要望があれば、、、 」 と答える。 イスラム王は、、彼らを殺害して、、これ以上のモノを作らせなかった。 ** 石工の親方達の墓だと言うのである。 しかし、、残酷にも殺害した功績ある親方達の墓を、、こんな記念碑的な場所に置くはずが無い。 後世の作り話なのは明らかだろう。 最奥部の井戸 井戸の底、、一応水が溜まっているが、、、階段部の規模からして 小さ過ぎるように思える。 水を得る目的の水利施設ではなく、、水を象徴とする祭祀・祭事の要素が高いのでは、、 井戸の上から(北) 南方向を見る。 |
階段井戸の入口には、、屋台が並ぶが、、特に観光用とは思えない。 幹線道路のバス停までは、、10分程の歩きだが、、、、歩く気力はなかったので 一台だけ停まっていたオートリキシャの声を掛けて相乗りを頼む。 運ちゃんの横に乗り、、幹線道路まで、、、 お金を 払おうとすると、、、 「 No Money 」 と言って受け取らない。 お客の彼等も、降りようとはせずに、、乗ったままはしゃいでいた。 商売抜きで、、私を運んでくれたようだ。 幹線道路のアフメダバード行き側から、、階段井戸方向を見る。 13:30
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