写真豊富な、のぶなが山行記
■ コース=旭・峠登山口 → 古田の森 → 千丈平 → 釈迦ヶ岳 →
→ 千丈平 → 古田の森 → 旭・峠登山口
02年 6月16日 天候=曇り、遠景は霞む
■ 所要時間=旭・峠登山口発 6:40 → 尾根7:02 → 古田の森ピーク8:07 → 千丈平 8:42 →
→ 釈迦ヶ岳 9:10 登り計 2時間30分
釈迦ヶ岳 10:00 → 峠登山口11:40 下り 計 1時間40分 総合計 4時間10分
≪標高差 500m≫ 標高差は少ない。 前鬼口からの標高差=1150mである。
主な標高≪釈迦ケ岳1799.6m≫≪峠登山口1300m≫
■ 車で朝、2時34分に西宮を出発。 43号、310号、168号国道経由で、登山口着6:30
往路4時間、137km。 帰路4時間45分、142km(五条より24号、309号線)
【林道状況】 旭橋〜10km〜奥吉野発電所〜10km〜峠登山口 片道1時間弱 旭橋〜 旭ダム、奥吉野発電所は、完全舗装で問題なし 発電所を超え、不動小屋谷に入る宇無川分岐までの5kmは、 狭くガードレールなし、谷は深い、小さな落石散乱と、要注意 その内2ヶ所 0.5km+1km が超悪路のジャリ道、(荒い砕石を敷いた道なのでガタガタと車が振動) 初めてなので、このまま峠まで続くと思い、中止しようかと2度程思案した程の悪路。 しかし不動小屋谷より峠登山口まで5kmは、広い舗装道路になるので、小さな落石のみ注意 着いた時は4駆とBOX車が各1台駐車。 下山時は普通セダン車ばかり4台(峠)、2台(下の登山口) 4輪駆動車でなくとも問題なし。 |
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発電所を過ぎまもなく、悪路が数百メートル続く、 谷は深い、ガタガタと恐ろしく車が振動する。 一時舗装道路にでるが、今度は1km程の悪路となる。 この2ヶ所をガマンすれば広い舗装道路を5kmで峠。 |
下の登山口、 左手の道に駐車可 |
落石が激しく、 道路上には小石が散乱 |
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峠登山口前の駐車スペース |
峠には大型ダンプが4台 |
↓ 峠登山口 |
↓深い笹を抜ければ、直ぐに登りとなる |
≪大日岳≫1568mの特異な山容 白っぽい所が鎖場だ! このコースから見るのがBESTの姿だろう! この姿を堪能してから、鎖場に挑戦すればHappy! |
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尾根までは 《峠登山口》からだと 標高差130mだが 下の《不動小屋登山口》からだと 標高差260mとなる。 峠から登るのが賢明だろう |
↓20分の登りで尾根に 大日岳の先鋭さが魅力 |
↓千丈平までは軽いUpDownで、右手に特異な魅力の≪大日岳≫や≪石楠花岳≫を 林間から眺めながらの快適散歩となる。 バイケイソウ大群落、マムシ草がほとんど 心静かに、軽やかに、、、、 うぐいすが多い、、、鳴き声はまだまだ未熟だが、、 ↓ 【北、進行方向の光景の展開】 【東、右に展開する大日岳、石楠花岳の変化】 ↓ | |||
古田の森ピーク1618mの手前から 釈迦ケ岳の全容が見えてくる。 |
↑鎖場が次第に右手に移動 |
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↓千丈平1650m |
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マムシ草の花 |
マムシ草の実 |
バイケイソウの蕾 |
千丈平の上に豊富な水場が ここから150mの登り釈迦ケ岳山頂だ。 結局、登らしきものは、登山口からの130mと 最後の150mだけという、 超楽チン登山コースである。 |
山頂の釈迦如来像(青銅製) 釈迦像だけを載せる山行記ばかりで 山頂のイメージが違っていた |
孔雀岳への下り方面から見る 南北の幅はこれだけ、 切り立った風格のある山頂だ |
10時前には山頂は大賑わい ↑三重の平均年齢58才のグループ 小仲坊から3時間と健脚揃い |
↓釈迦ケ岳山頂からの北の展望 (曇天でガスの晴れ間から) この展望と、山頂の在り様は、大峰山系では、BESTの山頂ではなかろうか! 孔雀岳への下り、登り返しは、厳しそうである。 いずれは、仏生ケ岳まで往復して見る予定だ。 登山道は山頂の少し下を通っているようだが、 標高差は20m以内のようなので、是非よじ登って見たいのだ。 今日は、初めて悪路を通った車が心配なのと、曇天の悪化を恐れて、諦める。 ≪05-05-08 仏生ヶ岳まで再挑戦の山行記≫へ |
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下りは何ら問題ない。 楽な登りに楽な下り。 1時間40分で登山口へ。 大塔村ふれあい交流館の夢の湯でゆったりと、、、、ジャグジー・サウナ・露天風呂と、ご機嫌な温泉である。 昨秋の≪前鬼口〜大日岳、深仙宿≫ 山行記へ |
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『高い山に登れば地球が見えてくる』 ≪何億年の地球の営みが見えてくる、そこに居る小さな人間が見えてくる。
ホンの一瞬に生きる小さな人間、さあ!どう生きようか?≫ 単独登山はスポーツではない、人生哲学的行動である。