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写真豊富な のぶながワールド 成川敦子

≪ タージ・マハル、アーグラ城 ≫

Taj Mahal
Agra Fort


2度目のインド旅行12日間 (21)
2010-11-20 〜 2010-12-01







早朝のタージ・マハル観光の予定だったが、
バナーラスからの列車の遅れで、、
お昼12時の観光開始となった。

タージ・マハルの入口へは、
環境汚染の影響を避ける為、、、エコカーに乗り換える。
東門から入場 (前回は西門からだった)

東門ではボディチェックが厳しい。 →
私のGPSは、どうしてもダメで   →
土産物屋に預けるハメに、、、  →



東門から入ると、 大きな前庭、、、中央に中央楼門が見える。




↓ 巨大な中央楼門、、赤砂岩にモザイク入りの大理石張り、   暗い楼門内からの白いタージ・マハル廟の見え方は、効果的 ↓




快晴である。  雲ひとつ見えない青空を背景に、、白く白く映える均整美である。






巨大さは、、基壇の上の蟻の如き人間の小ささとの対比で推量られる。





← 2008/12に訪れた時は、、朝の霧の中であった。

2008/12 霧のタージ・マハルへ

霧の中、、幻想的に浮き上がるタージ・マハルは
ありふれた観光写真とは一味違った思い出となった。

快晴のタージ・マハルの写真なら誰でも撮れる。
旅行の写真と言えども、、、、
人の真似の出来ない作品を、、と 案を練る。

幸いにも、今回の旅では、、出合いに恵まれ、、
カジュラーホでも 思いで深い写真が撮れた。
その時に、、、お願いしておいたのである。
タージ・マハルでは、、専属カメラマンになる、と、、




タージ・マハル廟は、、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが建立。

王子時代のシャー・ジャハーンは、勇敢で戦に優れていた。
しかし、父である第4代皇帝ジャハーンギールの後継者争いに一度は破れ、
謀反人としてインド各地を5年程逃げ周るが、、、、
ジャハーンギールの死後、、宮廷内の味方を得て、第5代皇帝となる。


王子時代のシャー・ジャハーンは、ペルシャ系のムムターズを妻とし
戦地にも妻を伴う程の愛妻家となった。
彼女との間に、18年間に14人の子供をもうけたが、、
生きて成長した男子は、4人だけ。

そして、、先代と同じく、、シャー・ジャハーン帝は、、
4人の息子の後継者争いの結果、、第3王子のアウラングゼーブに捕えられ
アーグラ城に幽閉されて、最後を迎える。

シャー・ジャハーン像


シャー・ジャハーン帝は、
14人目(15?)の出産時に亡くなった妻ムムターズ・マハル
の為の霊廟として、、タージ・マハル廟を建てた。

当時は、ペルシャ文化が先進的であり、、
タージ・マハル廟の感性は、、古来のインド的よりは
ペルシャ的と言える。

*画像は、今回の旅で入手した画集より参照




完璧なシンメトリーは、無機的であるが、、温かい人間の引き立て役ともなる。





ドームの高さは 67m、  4本のミナレットの高さは 43m










水面に映すタージ・マハル廟





絶好の撮影ポイントの中央泉水で、、、好位置を確保するのは困難である。





美しいものは美しいが、、、白い背景に、、映える黒一色  無垢なる青い空に、、均整のとれた造形美





いつまでも白い大理石に、、貴石のモザイク模様、、、

















全体も美しいが、、切り取っても、、新しい美しさが現れる。

大小のドーム形の相似形、、混色の細い水平線、、、刺激的に縦横の線を崩す斜めのポーズ





タージ・マハルの主役 ムムターズ・マハル は、

何故? 皇帝の愛を 生涯育み続けられたのであろう。


皇帝と言えば、、ハーレム、、、美女数多、、

シャー・ジャハーン帝の育った4人の息子は、皆
ムムターズ・マハルの生んだ子供である。


思いやりに溢れていたのであろう。

亡き後も、思い出だけで、、
この壮麗なタージ・マハルを建てさせたのだから、、





















庭園から上は、、土足禁止、、、我々は、、靴の上から、赤いカバーを履いている。






迎賓館 内




東の迎賓館からのタージ・マハル廟










タージ・マハル廟の背後は、、ヤムナー河 Yamuna River







ヤムナー河 上流にアーグラ城、、、この河は、、デリーのレッドフォートの背後を流れて来ている。

















↑  上流のアーグラ城  ↓








アーグラ城 から見た タージ・マハル










↑   今回購入した細密画 (布地) 2点   ↑
当時の宮廷美女は、、、、、

男が 愛する女性の思い出の為に、、、強烈なエネルギー
タージ・マハール廟は、、、パワースポットである。
ここで、、エネルギーを感じてこそ、、生きた人間だ。



溢れるエネルギー





パワーを吸収、、、、、、





笑顔、、、、、、、、










昼食後に アーグラ城へ移動



3:00




列車の遅れで、、時間が無い。  夕陽が沈むと、、次のファテーブル・スィークリーに入れない。

アーグラ城は、駆け足で回る。







2度目の訪問なので、、見学に気が入らない。





前回の訪問記の方が詳細である。


2008/12 アグラ城訪問記へ


此処では省略だ。



タージ・マハル関連のみ、、、


シャー・ジャハーンは 息子アウラングゼーブに皇帝位を奪われ、、ここに幽閉される。



↓ アーグラ城は、、アクバル大帝が最初に築城する。 ↓


アクバル大帝 → ジャハーンギール → シャー・ジャハーンと続く。
華麗な宮廷生活であったろう。



幽閉されたシャー・ジャハーンの眺めた光景



ヤムナー河











出入り口の アマル・スィン門から、、タージ・マハルが見える。
気が付き難いポイントである。





4:00   混雑する街並みを通過して   急ぎ ファテーブル・スィークリー へ

アグラの街は、、このような下町的な所しか知らない。  もう少し奇麗な場所はあるだろうに、、、






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